今回は以下のような方に向けておおくりします。
・人とのつながりを大事にしたいと思っている人
・スピリチュアルは危険だと感じている人
・スピリチュアルは無益なのか有益なのか気になる人
「最近、うちのお母さんがスピリチュアルにはまりだしてしまって大変なことになっている。お金を効果がよくわからないパワーストーンに大量につぎ込むし、あげくよく分からない理屈でわたしの行動を制御してこようとしてくる。もうヤバいって、お母さん頭がおかしくなってる」
ふむ、現実に悪影響を及ぼすレベルになるともうあかん。
もはや、悪質な洗脳やマインドコントロールにかけられているのと変わらん。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「スピリチュアルにハマりすぎると人生狂うからあくまで現実をみようよ」という話です。
ちょっと、最近少しいわゆるスピリチュアルに関して自分の言いたいことがまとまってきたんで記事にしマウス。
わたしは以前もいわゆるスピリチュアルは苦手だって話をしましたが、今回は「スピリチュアルの有害性と有益性」について少し考えを述べたいかなって思っているんです。
まず断っておきたいのは、「わたし自身はスピリチュアルを好きではないですがスピリチュアルそのものが有害で根絶すべきもの」だとはまったく思っていません。
むしろ、使いようによっては非常に役に立つものであると認識しています。
ただね、、、使い方を誤ると相当危険だという事を今回はお伝えしたいんです。
スピリチュアルとはまさに劇薬ですよ。
特に「女性は占いやスピリチュアルにハマりやすい」という事が言われているので気をつけてほしいところです。
では、ゆるりとお送りします。
目次
スピリチュアル自体は悪くない
いわゆるスピリチュアルを信じること自体は悪い事ではありません。
思想良心の自由ではないですが、信じるも信じないもその人の勝手です。
しかし、わたしはスピリチュアルがどうも好きではありません。
好き嫌いと言うのは、突き詰めていくともはや「なんとなく」に行きつくのでわたしは「本能や直感レベルで苦手」なんだと思われます。
あのよく確かめれられてもいないあやふやな事を確たる土台として組みたられたロジックを聞くと、場合によりますがなんだか悪寒がするんです。
それこそ「えー、、、き、気持ち悪い、、、吐きそう」みたいにね。
ただ、同じスピリチュアル系の人であっても、そのロジックやら話にまったく何も悪寒が走らない人もいるんですな。
そういった人の意見を聞いている時は、もっぱら「まあ、科学で確かめられている現象だけがこの世界の全てじゃないしなあ~」といった気分になるもの。
で、この差は一体何なのかを結構ここ最近考えていまして、やっと考えがまとまってきたんです。
で、分かってきたのは、わたしは
「現実への有害性が顕著なロジックなのかそれとも無害ないし有害性が軽微なロジックなのかで悪寒を感じるか分かれる」
という事に気が付いたんですね。
つまり、わたしはスピリチュアルの考え方自体に嫌悪感を持っていたというよりも、「スピリチュアルにおける現実への適応を間違ったロジック、やそれを嬉々として推奨する姿勢に吐き気をもようしていた」という事です。
わたしはスピリチュアルにせよ何にせよ、「その当人の人生を豊かで幸せにするために有効に機能するものであれば歓迎するし否定する必要はない」という立場なんです。
スピリチュアルが本人が幸せになるために人生において有効に機能するなら、採用したらいいんですよ。
それにいちいち文句を言うつもりはありません。
スピリチュアルの有害性とは?
スピリチュアルは、使い方によってはその人の人生を豊かにします。
これはおそらく間違いないです。
しかし、使い方を誤ると「不幸な人生まっしぐら」です。
かなり唐突ですが、パソコンが動作するために最低限必要なベースにOSというものがあります。
osとは、「Operating System(オペレーティングシステム)」の頭文字を取ったもの。
osの種類としては、マックosや多くの人にとってお馴染みのウィンドウズ11などのウィンドウズOS等があります。
コイツがパソコンにはいっているからこそパソコンでネットサーフィンしたり色んな作業ができます。
そして、世に出回っている数々のパソコン用のゲームにしてもその他のソフトにしても、それぞれには「どのOSの上で正常に作動するか」が決まっているんです。
これを互換性と言ったりしますね。
例えば、マックOSにだけ対応しているソフトがあったとしましょう。
このソフトをウィンドウズがOSとして入っているパソコンにインストール、つまりデータを入れようとしてもそもそも対応していないのでデータが入っていきませんし当然動作もしません。
場合によっては、これが故障やデータの破損などの重大な問題へと発展することもあります。
ソフトをインストールする際は、ソフトとOSが対応しているのか、つまり互換性があるかをしっかり確認しないといけないんですね。
で、なぜ突然こんなパソコンの話をわたしがしだしたかというと、現実世界で通用するロジックとスピリチュアルの世界で通用するロジックとの関係生がまさにこの互換性の話しと類似しているからです。
わたし達が生きているのは現実世界ですから、そこで通用するロジックは科学などで扱われている様な因果関係に基づくロジックです。
なので、わたし達人間をパソコンに例えるならば、インストールされているosは現実世界で通用するロジックといえます。
対して、いわゆるスピリチュアルの世界で通用しているロジックは、あとからパソコンに追加するソフトといえます。
しかし、いわゆるスピリチュアルの世界で通用しているロジックには、現実世界との互換性があやふやまたは完全にないようなものが多いためしばしば誤作動や故障の原因となります。
言いたいことはこういう事ですな。
つまり、「スピリチュアルにハマりすぎてそのロジックを信じすぎると現実に対して不適応を起こして様々な問題を頻発して不幸になっていく」ってことです。
あくまでわたし達は現実の世界を生きているのだという事ををわすれてはイケません。
例えば、あなたが一年後に大学受験を控えている学生だとします。
現実のロジックで考えるなら、あなたは合格のために予備校に通ったり、自分で計画を立て必要な参考書などを合格体験記などから探して勉強するでしょう。
しかしスピリチュアルのロジックにハマると試験に受かるために、例えば引き寄せの法則などをベースにして、毎日「わたしは~大学に合格する」とひたすら唱え続けるとか合格祈願がかなうとされるパワーストーンをたくさん買い込むとかなんてことになります。
普通に考えたら、「試験は勉強しないと受からないもの」ですから、スピリチュアルのロジックで受かるわけはありません。
あとは、「自分には偉大な守護霊がついているし天からの加護がある。そして前世は鳥だったのだから空を飛ぶ力があるのだ!」なんて思想を信じていて、どこぞのビルの屋上から飛び降りるとかしたら普通に死にますよね?
スピリチュアル的なロジックに基づいて現実の現象をとらえその考えに基づいて行動することで、どんどん問題が起こってきます。
個人レベルで問題を起こしているだけなら、「あー、自業自得、自己責任だね」ですみますけども周囲に対しても被害を及ぼすとなると「スピリチュアルなんて信じているやつは害悪だ!」て声が上がり始めても仕方ない気もしてきますな。
被害が本人以外にも広がるとなると、もう周りとしては関わりたくないんです。
正直、スピリチュアルのロジックを全面的に現実世界に持ち込んでも有効に作用しないばかりか、とんでもない不幸を招く危険性があるのですよ。
そこで、個人的にはスピリチュアルのロジックはあくまでも「この現実世界にほぼ影響を与えない裏設定」としておくのが良いかと思われます。
裏設定とは小説、映画、漫画などの創作物において作品上語られない設定のことです。
例えば、世界の成り立ちについて語られる神話的な話などはその一例でしょうかね。
具体的に言うなら、「前世や霊は存在するが現実世界には原則干渉してこない」みたいに考えるという事ですかな。
あくまでも現実は現実だと割り切っていく事が大事という事です。
そのため例えば、わたしはいわゆる「人は自分で親や生まれる事を選んで生まれてきたんだ」といった論法には真っ向から反対しています。
この考えは「生まれてきてよかった」と思える人にとってはかなり便利ですが、劣悪な環境に置かれている多くの人からしたら殺意を覚えるほどに許しがたい発想でしょう。
もちろん、中にはこの考え方をすることで自分の人生を肯定できる人がいるかもしれません。
しかし、大多数は嫌悪感しか模様さないでしょう。
なんせ、「選んだはずはない。どうしてこんな苦しい状況を進んで選ばなければいけないんだ!」と「今の苦しい状況を無理やり肯定しろと迫られている」気がして反発心がわいてくるはずだからです。
あくまでも選択は「自分が行ったのだ」という自覚をともなってこそ貫徹できるもの。
「あなたは本当は選択していたんだ」なんて言われても、記憶にない事を受け入れられるわけはありません。
わたしはこんな考えが市民権を得るのは、個人的に害悪以外の何もでもないと思っています。
だから、あくまでも反対なんですね。
スピリチュアルでのロジックを現実に適応してしまっては痛い目に合うでしょう。
また、現実を見ている大半の人からは排斥されることにもなりかねません。
スピリチュアルの有益性とは?
先ほども言った通り、わたしは「当人の人生が幸せになるために有効に機能する考えならどんどん採用すべき」という立場です。
なので、スピリチュアルが有効に機能するなら当然採用していいと思っています。
スピリチュアルとはそもそも「霊的な」という意味ですので、今言われているいわゆるスピリチュアルに限らずキリスト教やイスラム教、仏教といった宗教もスピリチュアルに一種と言えるでしょう。
スピリチュアルは、現実に確かめられないことを基盤にして組み立てられていると思われるので非常にうさん臭くはあります。
しかし、そもそも「わたし達は現実に生きてはいるが実際に現実をみれているのか?」という疑問はありますし、「わたしはなぜ生まれてきたのか?」のような漠然とした問いには答えが与えられません。
こうした「自分のこの世界に存在するにあたってのよって立つ基盤の危うさ」を自覚しつつ生きるのは、実に人間にとって辛いものがあります。
こういった問いに「現実的なロジック」によって、回答しようとするとどうしても行き詰って答えが出ません。
そんな時に、スピリチュアルの世界でのロジックを適応すると「何かしら果たすべき意味を与えられて人は生まれてくるんだ」等と意外とすんなり腑に落ちた気になれたりするものです。
まあ、スピリチュアルとは「自身が存在することへの根拠なき自信の源」として活用できるってことですよ。
実際、ロゴセラピーでもこういった考え方が基盤となっていますね。
対して、「存在に意味があるかないかはどうでもいい。ただ生きていることは事実。そこに意味などなくていい」と納得できる人は、スピリチュアルは不要なわけです。
スピリチュアルを生きる原動力にしなくてもないいけですな。
わたしは完全にこっち派なので、無宗教なわけですよ。
わたしは人生に意味なんて求めておらず、自分の内心から湧き上がる人生に対する望みに沿って生きているだけなので自身の存在の証明なんていらないんです。
だから、スピリチュアルにはハマんないんですな。
おわりに
この記事は「スピリチュアルにハマりすぎると人生狂うからあくまで現実をみようよ」と題しておおくりしました。
わたし達が生きている世界はあくまでも現実なので、現実に適応しないと様々な問題を抱えるようになり不幸になっていきます。
なので、いわゆるスピリチュアルを信じてもいいですが、現実に適応していかないとアカン訳です。
で、個人的に提案したいのは、スピリチュアルの世界でのロジックはあくまでも「現実世界の裏設定にする」という事ですね。
とにかく、わたしが言いたいことは一つだけ。
「あなたが幸せになるために有効な考えならば何でもとっていったらいい」と。
ま、何はともあれ「あなたの人生が幸せでがありますように」。
では!
参考記事等