「本当の自分って何だろうか?最近、八方美人に振舞っている自分につかれてきた。このままじゃ本当の自分を見失ってしまいそうだなあ、、、。もうこれ以上自分に嘘をついていきたくない!もっと、自分らしさを大事にしなくちゃ!」
自分らしさか、、、、。
自分らしさって何かね?
本当の自分ってなんだろう?
もし、そんなものがなかったらどうする?
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
脱マンネリストのオニギリです!
今回の話題は「本当の自分なんてものに固執するとろくなことがない」という話です。
今回は以下の様な方に向けておおくりします。
- 「自分らしさ」や「本当の自分」というものがわからなくて悩んでいる人
- 自分に嘘をつくのが嫌な人
- 生きている意味が分かんなくなってきた人
早速、残念なお知らせをアナウンスいたします。
『不変の自分らしさとか本当の自分なんてありません』。
例えば、ある研究によれば人の性格は自身の選んだ職業や仕事から影響を受けるといいます。
そう、「生まれてから死ぬまでの一貫した本当の自分」なんてものは鼻からないってことです。
このように考えれば、「自分の生まれてきた本来の意味」のようなどことなくロマンに満ち溢れたものは存在しないってことになります。
人の「らしさ」というものは「その時々で変わる」といえます。
「自分を客観的に見つめることができる」、そんな能力さえあればいいんです。
人生に「絶対解はない」のですよね。
人生には「最適解がその時々に存在している」にすぎないってことです。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
自分らしさ、本当の自分って何さ?
心理学の世界において「自分らしさ」は、長らく「本来感」という言葉で研究されてきました。
そして、本来感の定義は伊藤ら(2005)によると以下のようにされているようです。
「 自分 自身 の 意 思 や 気 持 ち に基 づ き素 直 に 生 きて い る こ と 」。
参考
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/53/1/53_74/_pdf/-char/ja
おそらく多くの人がいう「自分らしさを大事にしたい」とか「本当の自分がわからない」という発言は、この本来感を前提としたものであるといえるでしょう。
一方で「自分らしさ」と類似する概念に「個性」というものがありますが、金子書房から出版されている新教育心理学辞典の個性の項目を参照すると「個性」とは「パーソナリティーの独自な性質」や「人間が生まれたときから持っている個人差」等とされています。
また、個性の研究に関しては以下の2つの立場があるといいますね。
それが以下。
- オルポートに代表される立場:「個 性 は 個 人 が も っ て い る 主要 な特徴 で あ っ て 、そ れ は 他 人 と共有 す る こ との な い 、 その 個 人特有 な もの と して と ら え よ うとす る」
- アイゼンクに代表される立場:「独 自 な個 人 と は 多数 の 変数の 交わ っ た 点 に す ぎ な い」
、、、まあ、難しくいっているけど要は個性って簡単にまとめると「才能や素質、能力の相互作用の結果として現れる産物」といえそうですねえ、、、。
なんか、超メンディー話になってますけど、個性ってそんな感じかと思います。
参考
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jraps/10/1/10_KJ00003405411/_pdf/-char/ja
そして、「自分らしさ」は主観的なものであるのに対して「個性」は客観的なものであるという違いがあるともいえそうです。
「らしさ」にこだわる必要なんてない!
はっきり言ってしまいますが、「別に自分らしさになんてこだわらなくていい」です。
いや、「こだわるとろくなことがない」。
上述したように、「自分らしさ」とは「 自分 自身 の 意 思 や 気 持 ち に基 づ き素 直 に 生 きて い る こ と 」。
自分らしさって「追い求めるものではない」んです。
いうなれば、「その瞬間に感じている気持ちや意思をただあるがままに感じる」だけのこと。
人の感情は刻一刻と変化していくものです。
一秒前の自分の考えは今の自分と同じとは限りません。
当然、3年後の自分が考えていることも違うでしょう。
「らしさ」にこだわることなんてないのです。
「その時の自分の気持ちや意思に気が付けるならそれでいいって話です」。
むしろ、こだわればこだわるほどに「本当の自分の気持ちから離れていく」ので、「本当の自分や自分らしさを見失う」とすらいえますね。
例えば、あなたが流れの激しい川の中で何とかその流れにあらがおうと、そこでクロールをしている場合を考えてみてください。
あなたがクロールをしている最中の脳内に浮かぶことといえば「何としても流されてたまるか!」とか「上流にたどり着くんだ!」とか言った野心的なものかもしれません。
ただ、このような心理状態にあっては「自分のことを客観的に見れていません」。
「川の流れに抵抗すること」に躍起になるあまり、きっとまわりの状況だったり自分の気持ちには気がいかないでしょう。
このような「固執した心理状態」こそが「刻一刻と移り変わる自分の心への盲目」を引き起こすんですね。
川の流れにあらがわず水面から天を仰ぎ、流れに身を任せておけばいいのです。
そして、天気や世界移り変わりをただただ観察して楽しんでいればいいってこと。
受け入れる気持ちが整うと実に視野が広がるものです。
いつも、心の目は開いておかないと自分の気持ちには気が付けません。
いうなれば、これが「素直」ということでしょう。
「らしさ」は「追い求めるもの」ではなく「ただ感じるだけ」のものです。
3、自分の「価値」を探求しよう
「自分の気持ちや意思はただ感じるだけのものである」とはいえ、「感じるだけでは人生の満足感は増えません」。
やはり、その意思や気持ちに沿った行動をしていかないことには、「自分の人生を生きている実感がわかない」かもしれませんね。
そして、その「意思や気持ち」のそもそもの源泉となっているものが「自分が人生で何を大事にしたいとおもっているか」という「価値」です。
人によってはこの「価値」を「生きる意味」と形容したりするかもしれませんね。
価値に導かれて生きていくことで人生の満足感は向上していきます。
そして、この価値もまた「人生の中でさまざまに変化していくもの」です。
社会とのかかわりあいを通して、それまで人を犠牲にしてでも権力を手にしようとしていた人が「人との相互的な関係や人への思いやり」を大事にしたいと思うようになることもあるでしょう。
価値ですら「不変ではない」のです。
全ては移り変わります。
わたし達はその移り変わりを「ただ目を曇らせずにまっすぐに見つめる」のが大事だと思うんですね。
春のうららかな日に芽吹く若芽に生命の始まりと希望を感じ、夏の炎天下と燦然と輝くまばゆい世界に心の熱がたぎるのを感じ秋の物憂げな夕空に哀愁を感じ、冬の凍てつく空に切なさと人恋しさを感じる、、、。
そんな風に世界の移り変わりとともに心も移り変わります。
それを素直に感じさえすればいいかなって話。
だから、価値は「軽く持っておく」ことが肝要。
こだわらずに柔軟にいましょう。
価値の探し方、またその価値にそった行動の仕方について詳しくは以下の記事からどうぞ。
おわりに
この記事は「本当の自分なんてものに固執するとろくなことがない」と題しておおくりしました。
「自分らしさ」は刻一刻と変化するものであるといえるので、「自分らしさに固執すればするほどいわゆる『本当の自分』からはかえってどんどん離れていく」んです。
自分らしさなんて追い求めていかなくていいですね。
「ただ、あるがままに感じるがままに素直に感じる」
それでいいんです。
では!
参考記事等