「年寄りはとかく若いうちの苦労は買ってでもしろって言うよね。何なの、あの妄言?バカじゃないの?何で苦労なんか進んでしなくちゃなんないのよ?どうせ自分たちが大変だったから今の若い人にもつらいおもいさせたいっていう下らないやっかみでしょ。それに迷った時は困難な道をいけっていうのも頭おかしいとしか思えないわ。実際のところ、どうなんだろね?」
ハハッ!(ミッキー)
そうだね、なんか苦労すること自体が目的になっちゃってるような発言だよね。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は苦労はかってでもしなければいけないのか、迷ったら困難な道をいった方がいいのかという話題です。
あなたはどうです?
苦労したい?
困難に遭遇したい?
私はどっちも御免ですね。
ええ、何とそしられようと「全力で楽をします」。
正確に言うなら「全力で楽になるように努力します」。
はい、苦労なんて大っきらいです、私の人生にはいりません。
苦労なんてゴミですよ、ゴミ。
全部残らず、あるのを見つけたら焼却炉にぶちこんで燃やします。
日本人は修業好きが多いんでしょうか?
なんで、苦労すること自体に価値があるのか解せませんね。
もっと、人生楽しく生きましょうよ。
はい、今回は私からの提案です。
「苦労は売ってでも手放せ!困難な道なんて行くな!楽に生きろ!」
まあ、別に私は年収1兆円超えの超資産家とかではないので、「こんなしょっぱいヤツの言う事信用ならん!」て人もいるでしょう。
いいとおもいますよ。
そもそも、誰かの私見なんてその程度のスタンスできくもんだとおもってます。
自分にとって役に立ちそうかどうかで判断すればいいだけです。
ということで、こんな発想もあるのかって感じでお願いします。
結局言いたいことの中核は、「もっと人生の明るい面を見よう」ってことにつきます。
苦労教徒になっている人は、その苦労教の経典を破り捨ててくださいな。
では、苦労教をぶっ壊す!
ゆるりとまいりまーす(電車アナウンス)。
目次
1、苦労を買う?…売れ!!
よく我々がきく「若い時の苦労はかってでもしろ」というのは、知ってのとおり「ことわざ」です。
ですから、例にならって意味の確認からいきましょう。
ほほい!
若い時の苦労は買ってでもせよ
【読み】 | わかいときのくろうはかってでもせよ |
【意味】 | 若い時の苦労は買ってでもせよとは、若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよいということ。 |
引用元http://kotowaza-allguide.com/wa/wakaitokinokurou.html
まんまですね(笑)。
大体あれなんですよね、「必ず」て言葉がはいっている時点で地雷ですよね。
だって、何事にも例外はありますからね。
若い時の苦労が「必ず」役に立つかは、私がまだ年寄りってわけではないので分かりません。
が、「苦労の中の一部」は役に立つかもしれないとは思います。
でも、私があとになって「苦労は役に立ったバイ」とか言い出してもあんまり意味はないです。
だって、年をとった私の意見なんて「サンプル数1」ですよ?
「科学的に証明できんのか?ん?」ていわれておわりでしょう。
たった一人の意見はただの参考意見ですよ。
「そんな考えもあるのか」で十分です。
試してみて自分に合わなきゃ止めればいいんです。
他人の意見なんてその程度のものです。
ところで、ことわざとかは割と不偏的な真実を言っている気がしますが、実際はどうなんでしょうか?
これは個人的な考察になってしまうのですが、ことわざの中にはかなりの思い込みや間違いを含んだものも多いのではないかと思っています。
これには心理学でいう「バイアス」、つまり思いこみが影響しています。
「苦労は買ってでもしろ」ということわざには確証バイアスが働いていると考えられます。
確証バイアスとは自分の信じている事を支持する情報ばかりを集めて反証する情報は集めようとしないバイアスです。
つまりこの場合、あとになって苦労して良かったことばかりを思い出して「若い時の苦労は役に立った」なんて言っている可能性があります。
そもそも、「苦労はかってでもしろ」には「ことわざ」という権威が与えられているので、初めから疑ってかかる人はなかなかいないでしょう。(まあ、いつ頃からことわざだったかはわからないですが)
そうすると、あとになって若い時の苦労が報われたと感じた時に、「やはり、あのことわざは本当だったんだ」なんて考えてしまうわけですよ、報われていない苦労も沢山あったろうに。
あと付け加えると、人間は過去のことを美化しやすいです、特に男性はね。
体感ですが、私は苦労教徒には男性が多い気がしています。
きっと、過去を美化しているんだろうなって思います。
はい、苦労は「必ずしも報われません」。
「必ず」とか言っている時点でうさんくさいです。
でも、うさんくさいことわざも受け継がれてしまうんです。
「苦労はかってでもしろ」を猛信すると、苦労するために苦労するという結果になりがちになるので、あまり合理的とは言えないでしょうね。
いらない苦労はどんどん売ってしまいましょう!
まず、自分が行動する際に目標とそれに必要な行動を割り出して、行動に優先順位をつけましょう。
その行動の内で優先度の低い行動は、誰かに任せるとかして行動を外注化しましょう。
なんでもかんでもあなたがやる必要はないって話です。
あなたは自分の目的を達成するために人と協力すればいいんです。
そのためだけではないですが、職場の人達やいろんな能力を持った人達となかよくしてネットワークを作っておきましょう。
自分が協力できることは自己犠牲をしない程度に他の人に協力しつつ、自分がやる必要がないか不得意すぎて時間当たりの成果が低いと判断するものはそれを得意な人に任せましょう。
あとで、自分の得意な事で貢献してあげればどっちも得をするので問題なしです。
個人的には「若い時の苦労はかってでもしろ」は、いろんな場面で悪用されることが多いのでなくなってほしいことわざだったりします。
一緒にこのことわざ撲滅しません(笑)?
辞書から消してやりましょうぜ!
2、困難な道かどうかで選ぶのはアホ!
よく成功者と言われる人は「迷った時は困難な道をいけ」みたいにいいますね。
本当でしょうか?
これは心理学でいうところの「生存バイアス」が影響しているために、正しいと思われているにすぎないと思われます。
生存バイアスとは脱落したものや生き残ったものだけを評価するバイアスのことです。
つまり、迷った時に困難な道を行くのが正しく見えるのは、「困難な道を選択して生き残ったいわゆる成功者が正しいといっているから」に過ぎないという話です。
きっと、成功者がいる一方で困難な道を選択して再起不能になったり、最短距離で目標を達成できず相当に時間をロスした人もいたのではないかと思います。
困難な道を選ぶのは、別に誰にでも当てはまる不偏性のある成功法則ではなく「単なる一個人の体験談」に過ぎないという事です。
ある意味無責任ですよね、個人の経験なのに不偏性があるみたいに言いきってさ。
一体、何人のしかばねがあなたの後につづくとおもってんだい? て話です。
まあ、言い切った方が信用度も上がるし、そもそも勝ち抜いてきたものからすれば生き残れないのが悪いのでしょうから、まあ当然ですかね。
人の性格はそれぞれ違います。
当然、その人にあったやり方というものがあります。
困難な道を選ぶのはそれが性にあっている人だけが選んでいればいいんです。
みんなが選ぶ必要はないんです。
成功した人がいうから「本当っぽく聞こえる」だけです。
道に迷って、道を「困難かどうか」で選ぶのは正直アホです。
問題は「困難か」ではなく「理にかなっているか」です。
目標を達成するロジックがあるのかという点が大事です。
勝敗は始まる前にもう終わっているんです。
「しっかりした事前準備」が勝敗を決しているんです。
(まあ、不測の事態もあり得ますが…)
「目標達成のために必要であるからやる」のであってそこに困難とかいう視点は関係有りません。
人生は短いんです。
目標を決めたら最短距離でいきましょう。
寄り道なんてやめましょう
道の選択は困難さではなくロジックです。
3、苦労かどうかなんかどうでもいい!
はい、苦労は美徳ではありません。
むしろ、悪徳です。
苦労なんてない方がいいです。
気分が悪いだけです。
苦労はゴミです。
誰かが苦労を人に押し付けるのは、勝手に自分のせいや環境のせいで苦労したと思っている人間が、苦労していない人間をやっかんでいるが故にする愚行程度に考えればいいのです。
そもそも、苦労という概念自体要らないのではないかと思いますね、個人的に。
苦労なんていらないんです。
目標を達するかどうかという視点があればいいんです。
その目標を達成するために現実的なロジックを作って実行するだけです。
何か行動するとき、目標を達成することが大事なのであり苦労することが目的ではありません。
苦労は目標達成に不要です。
ただ淡々と感情をぶれさせない工夫に気をつけ適度にリラックスしながら、現実的な視点から目標を達成しましょう。
苦労という発想自体が無駄です。
4、苦労の意味は後付け
さてさて、「苦労に意味はあるのか?」についてですが私の立場からすれば意味なんてありませんよ。
この世の中の何にも意味なんてありませんから、当然苦労することにも意味なんかありません。
逆にいえば、苦労に意味を見出すのは自分自身です。
自分で「あの時の苦労が生きている」と解釈できれば苦労して意味があったと思うでしょうし、「苦労ばかりで損をした」と思えば苦労は害悪以外の何物でもないんです。
過去にどんなにつらい経験や回り道をしても、それを活かす努力や視点をもっていれば役にたてられます。
そう、いかなる経験であれ力や希望に変えられます。
それは頭の柔軟性次第といったところでしょうか。
とはいえ、設定した目標を達するためになるべく無駄なく最速で到達するのがいいです。
目標を達するためにするのは努力であり、苦労ではありません。
苦労はいってみれば被害者意識のようなものです。
苦労をした自覚のある人は「苦労人」です。
苦労人は苦労していない人を嫌い、激しく妬みます。
自分が苦労した分、無意識に損をしたと思っているので、自分のように苦労していない他人が許せないわけです。
つまらん人種です。
こんな人達がいう苦労なんてどうでもいいんです。
そもそも他人の苦労に興味がありますか?
どうでもいいでしょう?
苦労ではなくどのような行動や判断をどのような場面でし、何を達成したかが大事なんです。
実際、上手くいっている人ほど過去の努力を苦労とは言わない傾向にあると思っています。
彼彼女らは苦労を選んだのではなく「必要だから選んだ」んです。
5、いかに楽にいきれるか全力で努力する!
この視点は大事だと思います。
日本人はよくわかりませんが「楽をする=悪」という謎な思考回路を持っている人が多いような気がします。
すいません、私は純粋な日本人ですが異星人の言語を聞かされる位に分からない発想です。
無論、努力は大事です。
でも、労力少なくして大きな成果を得るようにするのがいいに決まってますよね?
1日8時間全力で死に物狂いで働いて1万稼ぐより、1日1時間のんびりと気楽に作業して1万稼いだ方がいいですよね。
あなたが営業をしていたとしたら、1日中外回りして3件契約取るよりも、オフィスで見込顧客からの電話を受けて契約だけしに行って契約を3件とった方がよっぽどいいですよね。
もし、「苦労して稼いだ金の方が価値がある」とおもうのであれば、それは人の心理の傾向、つまり感情の問題であって金銭自体の価値とは関係ないです。
これは研究で明らかになっている事です。
やめましょうね、感情に左右されるのは。(まあ、私も人のこと言えないけど…)
感情ではなく事実を冷静に見ましょう。
当然何事も始めたばかりで楽にできるなんてことはないです。
でも、負担が多いのなんて不快じゃないですか?
なるべく負担なんてない方がいいですよね。
だから、できる限り楽にできるように努力します。
さっさと労力かけなくていいようにするんです。
そして、これは努力であって苦労ではないんですね。
言ってみれば、必要経費。
人生を楽に気楽に生きれるように全力で努力と工夫をし、自分の負担になる無駄なものは徹底して排除していくことが快適に生きるのに必要な視点かと思います。
おわりに
この記事ではよく言われる「若い時の苦労はかってでもしろ」や「迷った時は困難な道を選べ」がどれほどおかしいかということについて述べました。
はい、ここまで書いてきて思いましたが、「人によるなあ」て事です。
私の考え方を「頭おかしい」という人はいるでしょうし、それでいいと思っています
そう、この記事で私が提示したのはあくまで私の考え。
もし、あなたの人生に役立ちそうな考えがあるなら持ってかえってください
私は多分常識が無いです、いい意味でも悪い意味でも。
なので、少しは変わった見方を提供できているかな? と思います。
まあ、誰かの役に立ったらいいなあと思いつつ、今日はここまで。
では!
参考記事等