「正直さ、未だに体育会系の連中って根性論信奉者が多いよね。何、根性があれば何でもできるとか思っているわけ?頭も筋肉なのかよ?根性論なんて非合理にきまってんじゃん。あほらし、、、。根性なんてよ、、」
なくてもいい??
まあ、わかるよわかる。
確かに「根性さえあればなんとかなる」てばかばかしいし、著しく合理性を欠いている考えだよね。
一言でいえば「バランスが悪い」。
とはいえ、根性は必要でっせ。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「根性論はいらないけど根性は必要」という話です。
あなたは根性論って好きですか?
わたしはへどが出るほど嫌いだし、軽蔑しています。
理由は簡単、「根性論で全部解決すんなら科学も論理もいらねえんだよ」て感じです。
おっと、、、嫌いすぎて感情論気味になってしまいましたね、失敬!
そんな、根性論アレルギーのわたしでも「根性」自体は人生において必要であるとの確信があります!
はい、根性は必要です!
根性論はいらないけどねー。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
1、根性論ってなんだったのか?
さて、そもそも現代では非難の的になっている風潮のある「根性論」とはそもそも何だったのでしょうか?
根性論とは「根性があればどんな問題でも解決できる」というものです。
、、、、はあ?て感じですねえ、あらためて。
「根性があれば何でもできる!?」、、、あり得ないですね。
根性も必要でしょうが、「戦略や計画性」だって大事でしょう。
ただ、無策で「よし!気合いだ!なんとかするぞ」では何ともなりません。
「~があれば何でもできる」のような極論は間違ってます。
まず、何かを万能であると考える事が大いに問題です。
物事には一長一短があります。
ですから、「これがあれば万事オッケー」とか言い出すのは愚かにも程があるのです。
根性論における根性万能主義は大いに危険な思想であると言えます。
2、根性は「やり抜く力」
さて、根性論は危険な思想であることはわかっていただけたかと思います。
とはいえ、根性が不要なわけでは断じてないのです。
むしろ、物事を成し遂げるのに根性は不可欠です。
根性とは「物事をあくまでやり通す精神」のことですからね。
ちなみに、根性を心理学的に言うなら「GRIT(グリッド)」でしょう。
グリッドとは「粘り強く頑張ることができる性質のこと」です。
いってみれば、これはビッグファイブという性格分析における誠実性という性格要素に該当するものです。
ビッグファイブについてはこちら。
要は、物事をコツコツと継続する力と言えます。
誠実性が人生で成功を手にするには不可欠の要素であると数々の実験が証明しています。
物事を成功させるためには「粘りづよくコツコツと取り組む」のは大事ですね。
3、根性だけでは成功しない
ここで大事なお知らせです。
「根性、つまりグリッドだけでは成功できません!!」
実は、GRID論については賛否両論あるのです。
つまり、グリッドに効果があるかどうかの評価が色んな研究で一定していないのです。
例えば、子供のグリッド能力を測定することで子供の未来の成功を予測できたとする研究もあれば、ほとんど関係なかったという研究もあります。
とはいえ、物事をコツコツと進める性格の人の方が成功するというのは、様々な研究で言われている事です。
実は、グリッドと「ある要素が組み合わさる」ことで、成功するという研究があります。
この「ある要素の有無」いかんによって、物事をコツコツと頑張ることがいい方向に働くかが決まるのですね。
その「ある要素」というのは「情熱」です。
これを明らかにしたのはコロンビアビジネススク-ルの研究です。
実験の概要は以下の通りです。
- 422人のビジネスパーソンが対象
- 従来からあるグリッドテストで全員の物事をやり遂げる力を測定
- 全員の情熱レベルを測定
さらにこの研究では、各測定結果をそれぞれの仕事の結果やパフォーマンスと比較しています。
その結果として、粘り強くやる能力と情熱(やりがい)の双方を持っている人だけが、高いパフォーマンスを発揮することが明らかとなりました。
また、粘り強さしかない場合には、パフォーマンスが向上するどころか逆に低下する場合もありました。
このことからも、いわゆる「根性があればなんとかなる」という根性論が以下に非合理で非生産的であるかがわかると思います。
むしろ、根性論はブラック企業が従業員を奴隷のように酷使するのには絶好の理屈であるとも言えます。
なにしろ、「それはお前の努力が足りないからだ」とひたすらバカの一つ覚え宜しく唱えてりゃいいって話ですからね。
管理する側からしたら、これほど安易かつ怠惰な事はないでしょう。
それに長期的な視点から言えば、生産性が減るので会社としてもマイナスなのです。
効率的な成長という視点から言えば、根性論は根絶されるべき悪弊だと言えるでしょう。
「根性があれば何でもできる」のではなく、「根性も必要だ」が正しいという話です。
「何かだけがあれば大丈夫」という短絡的思考におちいらないようにしたいたいものですね。
高いパフォーマンスを発揮したいのなら、根性と情熱を持って取り組むこと、意識しましょう。
4、新しいことへの挑戦が情熱を掻き立てる
さて、情熱が大事という事が分かったのはいいとしても、どうやってその情熱を高めていけばいいのでしょうか?
端的に言うと、情熱とは物事を続けていく中で生まれるものです。
仕事などでいえば、情熱、つまりやりがいというものは、どれだけ努力をしたかに比例して高まるのです。
もっとも、仕事に関するやりがいに関して言えば努力のみならず以下の要素も必要になります。
- 物事が着実に進んでいるという進行感
- 自分から進んで取り組むこと
これらの要素が上手く機能すると仕事に関しては「天職」になったりします。
くわしくはこちら。
ただ、一つのことを長く続けるのって想像以上に楽ではないです。
そこで、チャレンジシーキング(挑戦を求めること)という技術を使って毎日のやる気をあげていくのがいいかもしれません。
情熱を増やそうとするよりも、やったことのないことへ挑戦しようと考える方がモチベーションの向上につながるというものです。
チャレンジシーキングについて詳しくはこちら。
※工事中
5、挫折をしたってそんなもの力に変えればいい!
根性の話をする時に、いわゆる「挫折」の話題は避けて通れないでしょう。
結論からいって、「挫折」はあなたを強くしてくれます!!
とはいえ、「そのとらえ方が問題」という前提条件は付きますがね。
挫折をどうとらえ、どう乗り越えていくかが問題なのです。
わたしも少ないながら、まあ挫折っぽいことはありました。
- 自分が本当に欲しいものがわからず自暴自棄になった
- 受験での惨敗
はい、まあ他にもあるかもしれませんが一番記憶にのこっているのはこの二つでしょうか。
これらの挫折を通して、わたしが学んだ究極的なことは、
「人は変わろうと思った時から変われる。世界も人も変えられないが、自分の心のありよう一つで全てに意味が見出せる」
ということです。
それ以後は、「ただあるがままをあるがままにとらえること」に徹し、自分にとって嫌な事や不利な事の中にも「何らかの意味」を見い出して自分が成長する機会であると考えるようにしています。
そのため、日頃から瞑想等を実施して心を安定させるべく励んでいます。
このような人間は成長できるという心構えは非常に重要です。
くわしくはこちら。
そして、多少極端ですが、わたしはどんなに悲惨なニュースを見ても聞いても悲しんだりはしません、その理由は簡単です。
「現象をただ現象としてとらえるために感情を交えないことに徹しているから」にほかなりません。
人は生きている限り必ず死にます、それは避けられないことです。
ですから、自分を含め全ての人が死にゆくのはごく自然なことであり、ことさら悲しんだりすることではないと思うようになりました。
それは速いか遅いかだけの違いでしかないとただ冷静に見ています。
今日、わたしが死んでも地球は変わらず回り続ける、、、、わたしはそう思えばこそその時々の出会いを大事にし、相手を大事にする、なるべく気分よくしたいと思うようになりましたね。
多分、修業僧の人に近い感覚?かもしれません。
誤解を恐れずいえば、わたしは「生命をことさら尊い」ともおもわず、「死をことさら恐ろしくけがらわしい」とも思っていません。
「生死」すらただの「現象」であると淡々と受け入れ、冷静に見ています。
わたしなりに「あるがままを受け入れた結果」がこの考え方です。
この世界、社会の価値観は大方人間の都合で作られたにすぎません。
ですから、常識や文化というものに対しても常に一歩引いた目で考えています。
そして、そういったものに愛着を持っていません。
わたしは生に対しても死に対してもただ冷静に接していこうと思っています。
分け隔てなく。
なお、逆境に強い人の特徴というのが判明しています。
参考までにどうぞ。
おわりに
この記事では「根性論はいらないけど根性は必要」と述べました。
根性論のように「根性があれば何でもできる」のように、「何かひとつがあれば万事うまくいく」と言うような思考停止は、どんな場面でも物事の本質を見誤らせる硬直した思考です。
根性論のような物事を短絡的に考える思考自体が害悪であるという事です。
そして、物事を成し遂げるには「根性と情熱」が必要でした。
根性論は嫌いになっても根性は嫌いにならないで下さいっ!!て事です(笑)。
根性自体はあなたの人生を良くしてくれる仲間ですからね。
まあ、根性とは仲良くやっていきましょ。
では!