字で人の性格がわかるというのは本当なのか?手書き文化なんてもういらない?

今回は以下の方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ
  • 字で性格が分かるのか気になる人
  • 話しのネタが欲しい人等

「字で人柄とか性格がわかるとか言っている人はよくわからん。字なんぞで性格がわかるもんかよ。ま、なんか頭の回転が速い人は字が汚いとは聞いた気もするけど、、、、。あと履歴書を手書きでとか頭狂ってんじゃね?このテクノロジーの発達した今時、なんで今更手で書くんだよ。本当に解せん!手書き文化なんてなくなっちまえ!」

んー、まあ気持ちはわかる!

手書きってメンディーんだよねえ、、、、。

でも、なくなっていいのかはわからん。

ぶっちゃけ手書きに愛着ないからどっちでもいい、、、。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「字で性格はわからないのか?そして、今時手書き文化なんていらないのか?」という話です。

はい、履歴書とか学校のレポートとか手書き指定されると、「ざっけんなよ!!」とブチ切れて殺意がみなぎっている人がいるかもしれませんね。

わたし、、、見たことあります(笑)。

特に履歴書なんてね、一字でも間違おうものならまた一から書き直しですからねえ、、、。

まあ、うざさマックスといったところでしょうか?

まさか、

「この企業、履歴書手書き指定してきたから受けるのやめた!こんな非効率なこと要求する企業なんてどうせろくな企業じゃねえ!早晩倒産するわ!」

とか言って手書き指定してくる企業を受けるのやめている人はいないよね?

ま、わたしはそんなことしませんがね。

実は現在、字で性格はわからないというのが科学的には有力であろうと思われます。

とはいえ、いまだに字で性格がわかると思っている人はたくさんいますね。

特に年いっている人はほとんどそうでしょう、きっと。

なので、結論としては「字はきれいに越したことないし、手書き文化は当分なくならないだろう」と思います。

手書き文化をなくすべきかについては、わたしは特に手書きに関して何の愛着もないので、なくなってもいいしなくならなくてもいいって感じです。

まあ、便利になるならそれでいいよね、と言う立場です。

文化なんて時代の変遷とともに移り変わりますからね。

正直な話、文化がすたれてなくなるなら時代に合わないってことですよね。

勝手になくなる分にはいいでしょう。

自然淘汰ってカンジー。

、、、、まあ、それはいいとして、今回は字で正確が分かるというのは本当なのかについて見てまいりたいと思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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1、字で性格はわからない

字から人の性格を割り出そうとする学問を筆跡学といいますが、この筆跡学は現代ではかなり根拠に乏しいようです。

筆跡学については有名な論文に1992年にクワントレン工科大学が出したレビュー論文があります。

この論文は200件以上の筆跡学に関するデータをまとめたメタ分析によるものですから、論文としての信頼度は高いといえます。

この研究では以下のようなことを調査していました。

  • すべての文献やデータに対する効果量の算出
  • 筆跡学に意味があるのか
  • 性格との相関性に関する意味のあるなしの程度

そして、このレビュー論文の結論は

「筆跡学の効果量はほぼゼロである」

ということでした。

この結論の意味するところは

「文字で性格がわかる可能性は限りなく低い」

ってことですね。

そして、筆跡学にまつわる研究といえば1982年にテレサ=アマピールさんが行ったものがあります。

この研究も200本ほどのデータを用いたメタ分析です。

この研究では人の採用をする際に筆跡学が有用かどうかを調べたものでした。

しかし、この研究においても筆跡学の有用性は否定されてしまっています。

参考

https://psycnet.apa.org/record/1998-07238-011

まあ、これらは海外の論文なので「漢字やひらがなは別だ!」といいはるのもあり、、、、でしょうか?

個人的にはやはり文字は文字なので、筆跡学は信用ならない感じがしてなりませんね。

結論として「文字で人の性格はわからない」が妥当ということでいいのではないでしょうか?

手書きはとにかくメンディー

手書きといえばまず真っ先に思いつくこと、それは、、、、

「めんどくさい」

でしょう(笑)。

はい、手書きってめんどくさいですね、とっても。

ただ、人によっては「手書きで文字を書いていると気分が落ち着く」なんて人もいるみたいです。

これに関しては個人的にはすこーし納得でしょうかね?

漢字を書いているとなんか気分が落ち着くということはままあります。

でも、履歴書とかが手書きはかなりめんどくさいですねえ。

当たり前ですけど、正直かったるいです。

なので、基本的に手書きはメンディーです。

そもそも手書きの手紙はうれしいのか?

あなたは手書きの手紙をもらってうれしいですか?

わたしの場合は正直「意思が伝われば何でもいい」と思っています。

正直、内容がすべてです。

中には「自分のためにそこまで時間をかけてくれたことがうれしい」なんて人もいますが、わたしの場合は

「ああ、こんなことに時間を使わせてしまったんだなあ。もっと、有意義な時間の使い方もあろうに。なんかわるいな。」

て感想です。

はっきり言って手紙は「内容の質」、これにつきます。

あと、こんなこというとあれですけど、字が下手だったりすると読みにくいというのもあるので(そもそもわたし自身字がうまくない、、、)パソコンで打ってもらったほうが読みやすくてありがたいです。

、、、、とまあ、ここまではわたし個人の感想でした。

しかし世間を見渡してみると、わたしのような感覚の奴はあんまりいないようで、おそらく大勢は手書きの手紙にいわゆる「あたたかみ」みたいなものを感じる人が多いようです。

たしか、営業の人が手書きの感謝状を顧客におくって大いに喜ばれたなんて話も聞いたことがあります。

まあ、いまだに普通は手書きのほうに「ありがたみ」を感じる人が多いと言う話。

いまだによく聞きますからね、「字に送りての人柄があらわれている、、、」てね。

文章からだったらまだわかるけどさ、、、、。

いやあ、筆跡学のあてにならなさを知っていると、「うわあww」て気分になりますがねえ、、、こんなこといわれたら。

「いや,字で性格なんかわからんから!それ気のせいだから!残念!」てな感じの事を言いたくなるってもんです。

美文字だからと言って性格がいいとは言えないが得ではある

上述しましたが、いまだに手書きに価値を感じる人が世の中には多いようです。

おそらく筆跡学に何ら意味はないでしょうが、世の中には「字で性格がわかると勘違い」している人がごまんといると思うんですよ。

そして、字がきれいだと性格もいいと思う人が多く、それが常識とも感じます。

なので、「字では性格がわからない」という事実はともかく、わざわざ常識に戦いを挑まなくていいです。

というか、この場合、常識を打ち倒すだけの必要性とか実益がないといったほうがいいですな。

意味があろうとなかろうとそれで勝手に気分がよくなる人がいるなら、それはそれで立派な処世術なのであわせていればいいってことです。

字がきれいなほうが評価が高いならきれいな字を書けるようになったほうが単純に有利ですよね。

字がきれいであること自体に大した意味なんてなくても、字がきれいなことでよい評価が得られるならきれいにしておくのが得策というもの。

この場合、常識に反抗するコストのほうがはるかに高いといえそうですからね。

ペン習字を習うのも悪くないかもしれないですな。

手書きの唯一?のメリット

字に性格は出ないとしても、手書きにはそれなりにメリットがあるとは思います。

ここまで散々「手書きなんていらねえよw」みたいなこと言っといてなんですけどもね。

個人的に手書きのいいと思う点は、「字を書くことに集中することでメンタルが安定するの可能性がある」という事です。

「字をシッカリと集中して書くという行為」は、マインドフルネスの実践になると考えられます。

あなたは「無心で字をシッカリと書くことで少し気持ちが安定した」なんて経験はないでしょうか?

この時、あなたの精神に何が起こっているかと言うと、「意識が字をシッカリと書くというい行為に集中しているため不安等のネガティブ感情からそらされている」のです。

さらに言うと、字を書いている最中に気がそれることもありますが、それでも「今は字をシッカリと書くのだ」と意識を新たにしてまた書くでしょうが、この意識がそれてはまた戻すという行為がまさにマインドフルネスの実践なんですよね。

マインドフルネスの本質には、「意識の制御」がありますので意識の制御にたけてくれば不安があることはわかっていても放っておくなんて芸当もできるようになってきますな。

なので、「気持ちが安定しないなあ」て時には「ただ綺麗に書こうと意識して字を書く」というマインドフルネスの実践としてのペン習字はおすすめではあります。

手書きや書道は芸術なのかもしれん

はい、ここまでさんざん手書き文化のことディスってきた気がしますが、わたし自身は書道を芸術の一種として考えています(そもそも書道と手書き文化を一緒にしていいのか疑問だが、、、)。

なので、今後手書き文化がなくなっていったとしても書道のように「芸術」としての地位を確立していけば手書き文化の生き残りは十分に可能であろうと思っています。

日常で手書きをするのはめんどくさいことこの上ないですが、そこに芸術性が加わればなくなりはしませんよね。

芸術に効率性等のような実益や機能性を求める人ってまずいないと思います。

芸術の価値って実益を超えたところにありますからね。

とりあえず、会社の履歴書のようなものを手書きする文化に関してはいち早く消滅してほしいですがねえ。

あれは迷惑千万だし時間の無駄ですって。

おわりに

この記事では「字で性格はわからないのか?そして、今時手書き文化なんていらないのか?」について述べました。

結論としては冒頭の繰り返しになりますが、字で性格はわからない可能性がかなり高いものの、手書き文化は当分なくならないのできれいな字をかけるに越したことはないということでした。

正直、なかなか世間の常識って変わりませんよ。

いくら手書きが非効率で時間の無駄だって訴えたって、それをありがたがる人が多いのは厳然たる事実なんですもん。

時間の節約、効率化という面から効果を考えるのも一つではありますが、「相手の心理に与える影響」も加味して無駄かを決めたほうがいいんですよね。

正直、手書きは手書きを無駄と思っていない人には信頼を得るための効率よい手段をして使えるんですから。

結局、一面から「無駄かそうでないか」を判断しようとすると地雷を踏んでしまうってことですかね。

一見、どうでもいいと思うことであっても、角度を変えてみてみることも必要ですねえ。

ま、頭を柔軟にしていきましょ。

では!

参考記事等

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