「最近、少しだけ思うんだ。私はずっと誰かから愛されたい愛されたいとそればかり考えてきた。その結果、私は色んな人からなぜかうとまれて拒絶されてきた。いつも、重いとかうっとおしいと言われてばっかり、、、なんでなの?私はただ愛されたいだけなのに、、、」
そうね、辛いだろうが事実は事実。
まずは事実を受け入れるところから始めようか。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回は世間の思い込みをぶっ壊すシリーズ第一弾です。
愛は尊いと世間の人はいいたがるけど、本当にそうなんでしょうか?
光が強くなれば影もこいのが世のならい。
光ばかり見ていては真実から遠のくんです。
道を踏み外すんです。
メリットと同時にデメリットもしっかり知る必要があるんですね。
愛をしっかり感じたいなら、その尊さを味わいたいなら「愛のダークサイド」も知らなくっちゃね、て話です。
愛情は特効薬であり劇薬なんです。
効果が強いが故に負の側面も知る必要があると思います!
結構、考察も入っちゃっていますが、よければ最後までどうぞお付き合いくださいな。
では、今日は愛を徹底徹尾批判的にみてみましょう。
その尊さを知るために、、、。
目次
1、愛情の正体はオキシトシン
あなたはオキシトシンって知っていますか?
結構有名なホルモン、つまり神経伝達物質です。
このホルモンは親しい人とのスキンシップによって分泌が促進されることなどから、別名「愛情ホルモン」とか「幸せホルモン」なんて言われたりしています。
オキシトシンについて調べると、それはもういいことばっかり出てきます!
じゃあ、本当にいいことばっかりなのか?
答えはノーです。
冒頭でもいった通り、「プラスだけのものなんてない」んですよ、光と影の関係のように。
では、オキシトシンのダークサイドをよく示す論文を紹介しましょう。
それが以下の論文です。
https://www.pnas.org/content/108/4/1262
この論文によると、オキシトシンには「自民族中心主義」の傾向を強める働きがあることが分かったんです。
ええ、つまり私が大っきらいな「愛国心」とかいう偏愛を助長する作用があるって話ですね。
また、この上記の研究に関してオレゴン州立大学の神経心理学者Sarina Rodriguesさん(当研究不参加)はこう言っています。
「今回の研究に先立つ最近のデータとして、オキシトシンは、自分の嫌いな人が何かに成功した場合には嫉妬をかきたて、嫌いな人に自分が勝った場合には得意な気持ちにさせる、というものがある。今回の研究はそれを補完するものだ。オキシトシンは、われわれが社会において、どこにどのような立場で属しているかを規定する鍵となっている」
はい、「幸せホルモン」なんて大層素敵な名前が付いているからといって、副作用が全く無い訳じゃないって話です。
いい側面しかみないのでは道を踏みはずすんですね。
いつでも批判精神はもっておきたいものです。
2、愛を強く人に求めるのは自分の心に問題がある
さて、若干脱線いたします。
愛情がもたらす弊害についてさらに議論を進める前に、すこし閑話休題ってやつです。
あなたのまわりにやたらと「他人に愛情を求める人」っていませんか?
そんな人の性格は不安症の傾向がありますね。
いわゆる「メンヘラ」ってことです。
もしかしたら、あなたもですかね?
情動が不安定でいつも自分が捨てられるんじゃないかとおびえて人の機嫌を取ろうとするような人がメンヘラです。
実は、情動が不安定なのは遺伝によるところもあります。
なにせ、人の性格は50%が遺伝でもう50%が友人関係できまるといわれていますからね。
性格についてくわしくはこちら。
そして、人の機嫌を気にしすぎる人は「自尊心が低い」んですよ。
「ありのままの自分には価値が無いから、何にもしないでいたらすぐに嫌われてしまう」と考えがちです。
自分に自信が無いから外から自信をつけたそうとして愛情を求めるって話です。
「必要をされる自分にはかちがあるんだ」て発想になっちゃってるんですね。
まあ、そんな思考をしている内は幸せにはなれないですよ。
こんな人は自尊心を高めるために対策を始めるべきですね。
具体的には、不安定な情動を整えるのと並行して自尊心を高めるのがいいです。
ちなみに、情動を安定させる、つまりメンタルを強くすることは十分に可能です。
もし、メンヘラっぽい自覚が多少でもあるなら以下の記事を参考にして見てくださいな。
・メンタル強化法はこちら。
・自尊心の高め方はこちら。
また、自尊心の低さは時に恋愛においても問題を引き起こします。
それが恋愛依存症です。
恋愛依存症についても見識をふかめてはいかがでしょうか?
詳しくはこちら。
3、愛情深い人は本当に恐ろしい
さて、本題に戻ります。
1章でいったように、オキシトシンの副作用に「自民族中心主義」を助長するというのがありました。
自民族中心主義は差別主義に繋がるんですね。
具体的には「自分の仲間や民族こそが素晴らしいのだ。ほかの民族はおとっているんだ」みたいなやつです。
ナチスのヒトラーの「ゲルマン民族の優位性」とかが例としては分かりやすいでしょうかね。
あと、身近な例で言うなら
「日本は素晴らしい!」とか「日本人は世界にとても貢献している。同じ日本人としてほこらしい!」
こんなことを大声で事さらに言う人は私からしたら結構ヤバい人です。
まあ、正確には場合によるのですが、大方オキシトシンの副作用にやられています。
大体こういう人が「日本人は素晴らしい!」という時、「日本人(こそ)はすばらしい」を意味しています。
明らかにおかしいのです。
「日本人(も)すばらしい」が正しいといえるでしょう。
「素晴らしい」のは何も「日本人」に限ったことではないんですよ。
フランス人にもアメリカ人にもイタリア人にも韓国人にも、、、、
そう、何人にだって「素晴らしい」人はいるんです。
逆にいえば、何人にだって嫌なやつはいます。
それなのに「日本人だから」とひとまとめにして考えるのは非常におかしい。
非合理の極みです。
「同じ日本人として」なんて言い出した日には「ほらやっぱり偏愛じゃねえか!」て言いたくなります。
オキシトシンの副作用が顕著なのがいわゆる「愛情深い人」です。
心理学的にいえば、アンチサイコパスという「人のためになるなら手段を選ばない」という人達でしょうか。
こういう人達は実は場合によっては危険なんです。
おそらく、「大義」や「社会正義」、「愛国心」などを標榜して暴走を始める迷惑な人にはアンチサイコパスが多いんじゃないかと思います。
オキシトシンンの副作用に当てられて、合理的な判断ができなくなっている、いわばバランスを欠いている状態と言えます。
こんな暴走している人に、例えば
「うちの国の制度は世界に比して時代おくれだ。もっと、合理的にした方がいい。具体的には、、、」
なんていおうものなら
「なんだと!この国の制度に不満があるならこの国から出ていけばいいだろ!非国民が!」
と暴論を吐くのです。
この発言はオキシトシンのダークサイドを良く表わす発言であると思いますね。
冷静に考えるなら、皆が暮らしやすい制度設計をしたらいいのは明白です。
それならば、多くの人の意見を参考にして制度を考えるのが上策と言えます。
採用するか不採用か、自分が同意か不同意かに関わらず聞いたらいいんです。
確かに「不合理」とか「時代遅れ」とだけいわれたのでは「それお前の主観じゃね?エビデンスだせよ?」てなります。
ただ、とりあえず話くらいは聞いてもいいのではないかと思います。
それを頭ごなしに否定して「非国民」呼ばわり、、、
「おいおい、あんた頭大丈夫か?かちこちじゃねえか(笑)」て感じです。
なぜ、意見の違いから新たな発見ができるとおもえないのか?
、、、、
その原因が全てオキシトシンのせいだけであるとは言えませんが、オキシトシンが果たしている役割は相当に大きいと考えられます。
大きすぎる愛は人から冷静な判断と批判力を奪い、盲目にします。
アンチサイコパスについて詳しくはこちらからどうぞ。
参考記事等
4、愛は人から視野を奪い、戦争は愛によって加速する
大きすぎる愛は人から冷静な判断と批判力を奪い、盲目にします。
恋愛でも一旦好きになったら、相手の嫌なところがみえなくなってきませんか?
愛って実は危険な代物なんですよ。
劇物です。
これが時に悲劇を生みだします。
それが「戦争」です。
人々が「自国を守るために」命をかけて立ち上がるのは、オキシトシンが正常な判断力を失わせているからという側面もあるでしょう。
「自民族のために」なんて意識が強すぎるから、戦争が起こるという側面はあると考えられます。
もし、「自民族への愛」なんて意識がないのなら、命をかけてなんて「国を守らなくていい」んです。
国なんて自分に不利な条件で、自分と合わないなら捨ててしまえばいいだけなんですよ。
なにも守る必要なんてない訳です。
その方が合理的なんです。
ま、現状言葉の壁があるので面倒って話はありますがね(笑)。
言い方は悪いですが、国への執拗な愛着なんて「邪悪な偏愛」であり、視野が狭い考えであるとは言えないでしょうか?
これには大衆心理も大いに関係していそうです。
大衆心理については以下の記事からどうぞ。
参考記事等
そして、私よりも愛情の観点から戦争について深い議論を展開していらっしゃる方に石川明人さんという方がいます。
愛と戦争の関係について思考を深めてみたい方は彼の著書「戦争とは人間的な営みである」を読んでみるのをおススメします。
5、愛なんてない方がいいのかな?
どうやら、私が最近調べたところによると、あのタモリさんがこんなことを言っていたようです。
「戦争が無くならない理由はなんだと思う?
それはな、人間の中に『好き』と言う感情があるからだ。そんなものがあるから、好きな物を他人から奪ってしまう。また、好きな物を奪った奴を憎んでしまう。ホラ、自分の恋人をレイプした奴を『殺したい』と思うだろ?
でも、恋人のことを好きじゃなかったら、攻撃に転じることはない。残念だけど、人間の中に『好き』と言う感情がある以上、この連鎖は止められないんだよ。
『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう?
難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?」
引用
はい、初めて見つけた時に「!!」てなりましたね。
上手く言えないけど驚きました。
そして、確かに、、、なんて思いました。
特に「LOVEさえなければ、PEACE」の部分。
この記述から私は「全人類がサイコパスだったら戦争は無くなるのかもしれない」なんて少し思いました。
全人類がサイコパス(サディズムの個体は除く)だったなら、戦争起こしてまで争う事自体が非生産的なので戦争はしないでしょう。
もっとも、小競り合いは絶えないでしょうが、世界全体で言うなら今よりかなり平和じゃないかなと思ったりします。
世界から愛がきえたなら、、、
何かの歌の歌詞みたいですな(笑)。
でも、人間から愛は消えないし消えなくていいと思います。
確かに、個人の幸せを最大化するという視点から合理的に考えるんなら「愛」なんて無駄じゃないかと思いますよ。
実は私は恋愛をしたくない、しないという事を信条にしています。
それがなぜかと言えば、「愛によって思考が狂わされるのはごめんだから」です。
常に冷静でいたいので「強すぎる愛」からは距離を取って生きようと思っています。
とはいえ、強い愛はいらないが「柔軟で適度な愛情」といえる「友情」は人生の幸福度をあげるのに役立つので必要だとおもっています。
そして、タモリさんがいうように「愛のない人生」はつまらないですよね。
ですから、もし本気で戦争をなくしたいのなら、、、
私見ですが、自分が何人かなんて発想をやめて「我々は地球人だ」という意識でまとまるしかないって思います。
そして、「自分は何民族」なんて意識や思い入れも捨てること。
愛する対象を「地球規模」でとらえることが必要です。
そして、宇宙へ新進出する時代になれば「宇宙規模」でとらえるように柔軟に思考を転換していくべきでしょう。
結局、戦争をなくすのに必要なのは「頭の柔軟さ」とそれに基づく「愛の運用」じゃないかって気がします。
まあ、こんなこと論じたところで結論は出ないのでここまでにしときましょうか。
お粗末さまでした。
おわりに
この記事では「愛情にはいい側面だけではないぞ!」ということについて述べました。
そう、私もこんなことを言いながら、愛しているものがありますよ、こよなくね。
それは「自由」ですよ。
私にとって金も何もかも「自由」のため、それだけのためにあると言ってもいい。
だから、自分の自由を守るためなら全力で戦うだろうし、最悪それで自分が死んでもいいと思うでしょう。
愛するものは「自由」ですから。
愛する者のためなら命を惜しまないのは結局人間の性ですなあ、、、。
でも、だからこそ他人の自由も同様に尊重したいんですね。
まあ、自由同士の対立が問題なのは自覚してますけどね(笑)。
とにかく、愛自体は素晴らしくも恐ろしいもの、天使であり悪魔、みたいなものです。
常に思考のマンネリズムに陥らず、自分が固定観念や偏見に毒されているなって思ったらどんどん見直していきましょう。
繰り返しになりますが、柔軟な頭こそが「世界を平和にする」んだと思います。
最後に、ここに思い込み、つまりバイアスに対処する方法を置いときます。
変に物事に固執せず柔軟に生きましょう!
そう、澄んだ水のように、、、。
では!