「思いやりない人って最悪だわ!自分の事ばかり考えてるから、こっちが付き合っているとバカを見る!!冗談じゃないわ!あと、たち悪いのは良かれと思って親切めいたことやってくるけど、いざ満足に感謝されないと不貞腐れるやつね。アンタの勝手でやったんでしょ?いい迷惑よ!」
ふむ、思いやりの本質は「相手のニーズの把握」だからねえ。
お節介はウザい思いやりって感じになるわな。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「思いやり」って概念を要素や機能で徹底分解してやる!「戦略的思いやりのすすめ」」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 思いやりとはいったい何なのか気になっている人
- 思いやりがないといわれて気にしている人
- 思いやりなんていらないって不貞腐れている人
今回の記事は、おそらくわたしの「思いやりに関する考えや方法論の集大成」になると思われます。
これまで断片的にあまりに世間では綺麗事として乱発されている風に感じる「思いやり」というものについて書いてきましたけど、今回である程度この「思いやりとは何か」という話に結論を出してやろうと思いますよ、ええ。
曖昧として個々人の良心やらなんやらにゆだねるせいで、結局何なのかよくわからなくなっている「思いやり」というものを「ここで一度徹底的に解体して分析してやろう」って思います。
「思いやりなんて言葉には何の意味もねえじゃん!」て感じる人が、ある程度納得できるようしてみたいと思う次第。
ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?
おにぎりのカウンセリングについて詳しくは以下。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
「思いやりがない!」、、、だからどうした?
まず最初に一言。
「思いやりがない、優しくない」等と言われても、そもそも「自分がそんなこと言われても全く気にならない」のであれば、そんなことは気にしなくて結構です。
本来、「思いやりがある」とか「優しい」なんていうのは「他人から見た場合の自分の行動に対する評価」にすぎないので、もしその行動が行われたシチュエーションやその行動を評価する者が違うなら簡単にひっくり返る程度のものであるという事は抑えておく必要があります。
なのでいささか極論ですが、「思いやりがない!」と言われても「あー、そう。こっちはお前なんてはなっからどうでもいいんだよ。お前なんて思いやらなくて当然だよ。何当然のこと言っておこってんの?」と思うなら、別に知ったことではないってことです。
なので、「思いやりがない」と言われて内心焦ったり罪悪感を感じる人は、「自分はこの人に思いやりがあると思われたい」という欲求があるからこそそう言われて気にするんですね。
これがどうでもいい人だったら「あっそ。で?」てなるでしょう。
もし、誰から「思いやりがない」と言われても気になるというのなら、その人はかなり高度なモラル意識を持っているとか自他の境界があいまいな人なのかもしれません。
モラル意識はともかくも、こういった感受性が高いせいで、自他の境界を見誤る人はお節介に陥りやすいと思いますので、「自分と相手の心は決して同一でないし、そうなることもない」という事を徹底して意識しておく必要があると思います。
でないと、「自分が~と感じるからあの人も~」と実に見当違いなことを考え出して、迷惑行為に走り出すでしょう。
自他の感情は徹底的に分離することが、「本当に思いやるなら必要である」と、私は考えています。
もちろん、共感性は必要ですけども。
何故思いやりなんて必要なのか?
「何故思いやりなんて必要なのか?」
この問いに答えようとすることが、「思いやりというものが人間関係等においてどう機能すべきものであるか」を明確にする第一歩でしょう。
世間で一般にいわれる「思いやりが大事」なんてありふれた陳腐で空虚な言葉に、何らの意味などありません。
いいことを言っている風でその実何も具体的な事を言っていません。
不毛です。
全ての人間の行動は目的をもって成されるものですから、「思いやりがあると評価される行動」にも目的があるのは当然。
そういった目的等をしっかり分析して、思いやりにいったいどんな効果が期待されるか、果たされるべき機能に何があるかなどを考えて具体的に述べていくべきでしょう。
そして、行為者の立場からみての「思いやりの意義」も大事ですが、「その思いやりによって影響を受ける他者から見た意義」も大事ですね。
少なくとも「思いやりがない行動」によって悪い影響を受けた人は、損害を被っているのですから。
しかし、この手の話は行為者本人が「思いやりがあると思われなくても困らない」とか「思いやりがないと思われることで生じる反動は覚悟してる」となれば、終わってしまいます。
なので、結局「思いやり」問題の核心には、「行為者が罪悪感を持つか否か」みたいな「共感性の程度」の問題があるといえるでしょう。
しかし、行動により影響を受ける他者視点から見ると、「思いやりのある人」は以下の点で有益なので「いてほしい」と願うのです。
- 自分が傷つけられない
- 自分が支援が必要になっても助けてもらえる
- 自分の都合のいい操り人形にできる
上記のうち上の2つは直感的に納得できるものでしょうし、生物学的な文脈でも妥当でしょう。
多くの人はこの2つを動機として「思いやりが大事」と言っているといえます。
そして、これこそが「思いやりが大事である理由」です。
結局、人間という生物は肉体は非常にもろいしただ一人で生きていけないんですよね。
生存のためには助け合うことが必要になってくるわけです。
だから、「思いやりが大事」という言葉の真意は、
「人間一人だけで生きていけるほど強くはないから、助け合っていこうじゃないか。わたしもアンタを攻撃しないからアンタもわたしを攻撃しないでよ。で、困ったらお互い様の精神で助け合おう。お互い死にたくないだろ?」
という不戦協定の呼びかけといえましょう。
そして、ハーバードの成人発達研究により良好な人間関係が人生の幸福度を決する最大ともいえる要因であると示唆されています。
思いやりというものはこの「良好な人間関係」を構築するために、非常に重要な要素なため大事なんです。
ただ、「誰に対しても思いやる必要はあるのか」については少々問題があります。
一応、最近の心理学の知見に基づくなら、自分から搾取するような相手に対しては親切にしなくていいということになるでしょう。
つまり、「思いやり」の程度にもよりますが、基本的には「万人に対して行うべきものではない」という事になります。
つまり、「人を選んで思いやれ」という事になるわけです。
では、その選考基準ですが、自分が進んで人に親切や思いやりをするのを前提として、その思いを「3回」ほど無下にするようであれば袂を分かったほうがいいかもしれません。
これはゲーム理論等に「やられたら3回に一回はやり返すのがもっとも効率がよい」という説があることを応用したもの。
そして、一番下のように従順な搾取対象を育成するために「思いやりが大事。人を傷つけてはいけません」と呼びかける人間たちがいるのも事実です。
この手の発言は権力を持つ側がやりがちかと思います。
権力を持つ人間たちは「自分には助けなんてなくても困らない」と思っているため、共感性が退化している傾向がある等といわれますので、人を利用していくことにちゅうちょがないのでしょう。
「人を傷つけるのは何があっても悪い事」等という意識を刷り込むことで、反抗の芽を事前につんでおこうって感じですな。
ま、社会秩序の維持や統制といった視点からは大事ですけどねえ。
詳しいことは以下の記事参照。
思いやりの実態とその構成要素
「思いやりとは何か?」と聞かれたら、私はこう答えます。
「良好な人間関係を構築するためになされる一連の行動」と。
そして、思いやりの中核的概念は何といっても「相手のニーズを的確に把握し、そのニーズにこたえる事」。
それに尽きるでしょう。
なので、ここに「自分が何をしてあげたいか」という視点はいりません。
基本的には「相手のしてほしいことをしてあげる」のが思いやりであって優しさです。
「わたしは~が優しさだと思う」というのは全くと言っていい程不要。
まあ、もっとも、相手のニーズであってもそのニーズが本質的には相手の利益にならない不合理なものである場合もあり得るので、その際は常識等に基づいて適宜判断をすることになるでしょうがね。
そこは堪忍。
思いやりを「良好な人間関係を構築するためになされる一連の行動」とした場合、それに必要な要素は以下の様になると思われます。
- メタ認知力(自分を客観視する力)
- 傾聴力(人の話を聞くスキル)
- アサーションスキル(相手に配慮しつつ思いを伝えるスキル)
- 共感性(他者視点取得)
- お互いの関係の対等性を維持する意志と、関係に対する柔軟性
以下順次簡単に補足です。
メタ認知力(自分の客観視する力)
メタ認知能力とは、自分を客観的に見る能力の事です。
これが欠如していると、「わたしが~思うんだから、相手もきっと~だと思うだろう」等といった独りよがりな思考をしやすくなります。
また、実際に思いやりを実行して失敗したとしても、何が問題であったかを検証する事すらままならないでしょう。
メタ認知能力は、人間関係構築に必須の能力です。
これなくしては人間関係の健全性など土台無理でしょう。
傾聴力(人の話を聞くスキル)
これは瞑想によって鍛えられるので、瞑想を習慣化するといいと思います。
「人のニーズを把握する」となれば、当然人の話をしっかりと聞いてその人の価値観等についてしっかりと知っておく必要があります。
例えばですけども、目玉焼きにしょうゆをかけてあげるのが親切になるのは、基本的には相手が「目玉焼きに醤油をかけて食べるのが好きな人」であったときだけです。
もし、相手が「ソースをかけて食べるのが好き」であったとしたら、「醤油なんてかけたらせっかくの目玉焼きが食べれないじゃないか!!」と怒り心頭でしょう。
こんな風に相手の価値観などを把握しないで行動すると、思いやりとか親切はただの徒労に終わります。
なので、まず行動する前に「相手はどういった価値観をもっているのか、相手のニーズって何だ?」て考える癖をつけ、実際にしっかりと話を聞くようにしましょう。
傾聴スキルはそういった意味で非常に大事です。
傾聴について詳しくは以下。
アサーションスキル(相手に配慮しつつ思いを伝えるスキル)
相手のニーズを把握することができても、そのニーズを「相手に受け取りやすいように渡せるか」というは問題です。
そのためには相手に配慮しつつも自分のいいたいことを伝えるスキルであるアサーションが必要になってきます。
アサーションの実践にあたっては、アサーションスキルを体系的にまとめた理論である「DESC法」が参考になりますね。
DESC法とは、アサーションの過程を以下の4つに分解したものなんです。
- D(Describe(描写)):客観的に状況や事実を相手に伝える
- E(Express(表現)):自分の意見や感情を相手に表現する
- S(Specify(提案)):相手に自分が求めていることを言葉によって伝える
- C(Consequences(結果の伝達))提案したものを実行した場合、実行しなかった場合における結果を伝える
これだけでは「なんのこっちゃ」て感じでしょうから少し例を見てみましょう。
状況:妻が夫に買い物を頼んだが、事前に渡したメモにないいらないものまで沢山買ってきてしまって困っている。
妻;「何を買うかメモは渡したと思うんだけど、、、少したくさん買いすぎてる気がするよ?(D:描写)」
夫:「あー、なんかさ、お腹減ってて色んな商品見てたらついついこれ食べたいなって思って。あと君はカマンベールチーズすきじゃん、それもなんかふと思い出して。そんなこと色々考えてたら結構知らないうちに買ってた。」
妻:「まあ、わたしの事を気遣ってくれていたのはうれしいよ、ありがとう。ただ、メモにないものをたくさん買われてしまうと冷蔵庫に入りきらないとか食べきれなくて腐らせてしまって無駄をしてしまうとかあるよね。だから、メモに書かれたもの以外はかってきてほしくないのよ、全部計画して整頓しているから。(E:表現)」
夫:「あー、そうか。確かに買った後に冷蔵庫に入りきるかとかあんまり考えてなかった。気をつけるよ」
妻:「うん、お願いね。じゃあ、今度からはメモに書かれていないものは買わないようにしてね。あともし、買う必要があると思うものがあるならラインで一回聞いてくれると嬉しいな(S:提案)。そうすれば、わたしも予定外の事態に直面しなくて気が楽だから(C:結果の報告)」
夫:「よし、わかった。そうする」
まあ雑だけど大体こんな感じでしょうか。
ちなみに、DESC法には含まれていませんが、要所要所で相手への共感や感謝をいれられるならいれた方がよさそうな気がします。
どうもDESC法をそのまま運用すると、「なんか尋問をしている」ような感じになって返って信頼を損ねる事がありそうな気がしますからねえ。
DESC法のロジックは抑えておいて損はないですが、共感と感謝も上手に活用してみましょう。
共感性(他者視点取得)
思いやりをするにあたって共感性は大事ですが、主に使うのはいわゆる「相手の立場に立つ」のに必要な他者視点取得の方であり、「かわいそう」みたいに思う方の情動伝染はあまり重要ではありません。
相手のニーズをつかむのに過度の感情は不要です。
ただ、そうはいっても共感性自体を鍛えて心の知能指数と言われるEQを高めることは必要です。
瞑想など自己犠牲が主題となっている映画などを見てEQをあげるのもいいでしょう。
詳しくは以下から。
また、常に自分の感情は「フラットで波が立っていない状態」にしておく必要があります。
このためには、脱フュージョンとかを使うといいでしょう。
脱フュージョンについては以下。
お互いの関係の対等性を維持する意志と、関係に対する柔軟性
健全な人間関係には「対等性」と「柔軟性」といったものが不可欠です。
良好な関係では、お互いの立場は対等であり、その時々の必要性に応じてお互いの関係における役割などを柔軟に変えていく必要があります。
例えば、恋愛の文脈で考えるなら、自分がパートナーにかなり好かれていて相手に何か要求を一方的に打診しても、すんなり通るような状況があったとしましょう。
この時に、「自分の言い分は通るがあえてそれはフェアでないからしない」とか「相手にも自分にも益がある形での打診ができないか?」等と考える意思が必要だという事です。
まあ、人間は自分が強い立場に立つと理不尽を強いたりしがちですが、この時に横暴を働くとあとあと関係がこじれる原因になり関係が長続きしません。
なので、「自分が搾取可能な状態であっても搾取をしない」という、そうですねえ、、、モラル意識とか節度?みたいなものが必要になるのかもしれませんねえ。
あくまで、思いやりが「良好な人間関係を構築するためのもの」であれば。
そして、思いやるにしても以下の点には注意しましょう。
- 自分の負担にならないようにする
- まず、自分から積極的に思いやるが、3回無下にするようならもう関わらない
- 思いやりを具体的に行動に移すなら、そこに相手のニーズに答えることができる「自分の心情に基づかない理由」を最低でも1つはあることを確認してから行動する
- 自分なりの優しさは捨て、相手のニーズをくみ取ることだけに徹する
- 基本的に自分なりに最善を尽くしてダメだった時には、割り切って根に持たない
そして、思いやりや親切を行う際の具体的な行動手順は以下通り。
1、感情伝染によって相手の感情を察知する。ただ同時にメタ認知によって自他の感情を分離させる事で自分と他人の感情を交わらせない
↓
2、相手の問題を解決する必要性を感じたら、段階3へ進む
↓
3,傾聴により相手の置かれている状況や抱えている問題を把握する
↓
4、対象者が友人や知人、ある程度交流がありその価値観を理解しているなら、その価値観等に沿って思いやりの実践形態を考える。もし、価値観を知らない場合は、それを問題解決に必要と思われる範囲内で探る
↓
5、自分なりに根拠をもって思いやりを実践する
↓
6,相手の反応等から思いやりの効果を測定する
↓
7,検証の結果を元にさらに同方針で思いやりを実行するのか、それとも方針を変えるのか、ひとまずこれで終了でいいのかを判断する
ふう、、、まあこんなものかなあ。
思いやりには効果測定が欠かせない
思いやりを行う目的というものがはっきりしたのなら、その目的に対して効果的に行われることが必要になります。
なので、「思いやりをするならば効果的に行う」という意識が欠かせません。
で、効果が云々というからには、思いやりを実践した後の「効果測定」が必要です。
果たして、その思いやりというものが妥当であったのかという検証です。
正直、これはかなり難解ですが、自分なりの指標のようなものを各自ある程度設定することをおすすめします。
基本的に自分の共感性を鍛えていれば相手の情動は結構な精度で察知できるようになるものですが、難しい場合もありますね。
なので、一概に「~と相手が反応しているなら効果あり」とは断定できません。
なお、個人的に注視したほうがいいと思うのは、「思いやり後の相手の行動が自分に対して友好的になったか否か」でしょうねえ。
まあ、これまた抽象的ですけども。
例えば、以下のようなことが行動後にあると多少は効果があったのかもしれません。
- 相手の瞳孔が開いている(特に女性の場合は顕著と思われる)
- 取るに足らない事に対しても笑ってくれるようになる(女性に顕著)
- 自身の秘密等の重要情報を打ち明けてくる
などなど、、、
まあ、これ以外にも「個人的に」思うことはありますが、どこまで普遍性があるか怪しいのでやめておきます。
とにかく、思いやりを行うからには、「効果的に行う」という事を意識したいものです。
でないと、やるだけバカみたいになりますからね。
おわりに
この記事は「「思いやり」って概念を要素や機能で徹底分解してやる!「戦略的思いやりのすすめ」」と題しておおくりしました。
思いやりが大事なのは、それが「良好な人間関係を構築するためには不可欠であるから」に他なりません。
なので、もしも「自分には良好な人間関係なんてものはいらん」という人がいるなら、その人にとっては「思いやりなんてものは無用の長物だ」ってことになるでしょう。
ただ、わたしを含めた多くの人にとって、人間関係は大事なので、思いやりが大事なのは間違いないです。
もし、あなたが「人生における幸福度の向上を望むならば」、人を選んで思いやりある行動をちゃんととっていきましょう。
全てはあなたの選択です。
そう、全てね。
では!
参考記事等