感受性が強い人が感受性を低くする事はできるのだろうか?

「感受性が強いと本当に生きにくいよね。鈍感な人が本当にうらやましい。何とかしてこの感受性を低くできないものだろうか、、、、?なんか方法ないかねえ。」

んー、、、、、自分が知っている限り感受性を根本から低下させて鈍感にするのは、、、無理だと思うなあ、、、。

オニギリス!

脱マンネリストのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「感受性が強い人が感受性を低くする事はできるのだろうか?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

感受性の高さにうんざりしている人
・感受性の高さをネガティブなものと感じている人
・鈍感になりたい人

最近は、HSPがクローズアップされるようになったのもあり世の中に感受性の高い人が結構いるという事が知られるようになってきたように思われます。

で、やはり感受性の高い本人達の多くが持つであろう関心事はなんといっても「どうやったら自分の感受性を上手く制御するか」や「どうしたら感受性を低下させて鈍感になれるか」といったものでしょう。

で、結論ですがわたしが現状知る限り、感受性そのものを低下させ鈍感にする方法なんてものは存在しません。

おそらくそれは確かです。

というのも感受性とは遺伝に大きく支配された要素であるため、多少極端ないい方をすると「自分の遺伝子を改変する」みたいな遺伝子レベルのアプローチでもしないと多分どうしようもないんですね。

なので、感受性の高い人が鈍感になるのはあきらめるしかないです。

その代わり「どうやって感受性を活かすか」や「どう感受性の高さが仇にならない様に制御するか」という視点の方に焦点を移しましょう。

ここで一瞬だけ宣伝?ですが、「悩みがあんよなー」て人も「ただ誰かに愚痴を言いたいねん!」て人も悩みが重症化する前に頭をクリアにしてみませんか?

おにぎりのカウンセリングについて詳し以下。

では、ゆるりとおおくりします。

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感受性が高い、強いとは一体どういう状態なのか?

一般にいわれる「いわゆる感受性が高い、豊か」とは、「周囲の環境からの刺激に対する反応性が高い」とか「他者に感情移入しやすい」、「他者の感情に対して良くも悪くも反応しやすい」といった気質の事であると思われます。

で、これを心理学的な視点から見るなら、おそらくいわゆる感受性とは以下2つの様な性質を備えた状態の総称なのかもしれません。

  • 神経症的傾向が高い(不安の感じやすさ)
  • 情動的共感性が高すぎる(相手の感情を自分の感情として写し取る)
  • 外界からの刺激への反応性の高さ(生活に支障が出るレベルだと神経症と診断されることもあるかもしれない)

例えば、以前の記事で外向型の人と内向型の人の違いについて取り上げましたが、あれも外界からの刺激への反応性の違いでした。

外向型は刺激に鈍感で内向型は刺激に敏感です。

この違いが行動面での違い、特に「どうやって自分の精神的体力を回復するか」という点にあらわれるんですな。

もしあなたが内向型であるなら元気になろうと思ったら一人の時間を十分にとらないといけませんが、逆に外向型ならば人と交流することにより元気になるのです。

こういった違いは遺伝に由来した性質であるため後天的にどうこうすることはできません。

遺伝的に内向型の人が外向性を獲得することはできますが、それはあくまでも「外向という服を着た状態」です。

本質的に内向型である事実はかわっておりませんから、一人の時間をシッカリと確保して休息をとらないといけません。

もし根本的に外向型になりたいのであれば、それこそ遺伝子レベルでの置き換えや修正といった事でもできるようにならないと無理でしょう

いずれにせよ、「感受性の高さを根本的に低下させよう」とすると、こういった感じのアプローチが必要になるのはないかと思います。

どう考えても現状では、現実的ではないのがお分かりいただけるのではないでしょうか?

そして断定できないものの医学的な視点から見るなら、いわゆる「感受性が高い」のは度が過ぎるとある種の神経症と言える域に達するかもしれません。

その場合は必要ならば、抗うつ剤の適用が認められるかもしれませんね。

ま、そこは医師の診察の結果次第だと思いますけど。

でも、そのように薬で不安感を緩和させた場合も根本的な反応性の高さは何も変わっていないわけです。

あくまで薬は感受性のコントロールに資しているに過ぎないって感じですな。

感受性が低く鈍感な方が実利的ではあるかもしれない

自分の高い感受性の扱いに手を焼いている感受性の高い人は結構多いと思います。

感受性が高いといえば、HSPの人はそうでしょう。

以前申し上げたとおり、わたしの妹もほぼ間違いなくHSPだと思われるため結構自身の高い感受性には手を焼いているようです。

さらに言えば、最近ではわたしの妹以上に感受性の高い人も沢山いる事が分かってきたため、そういった人たちはなおさら手を焼いているだろうと思います。

あくまで現実の社会では、感受性が高いよりむしろ低いくらいの方が生活しやすいし精神的に健康でいられるかもしれないとすら思ったりしますね。

そもそも不安を感じやすいのは万が一の危機に備えたり差し迫る危機をいち早く察知し生き残るために有用でしたが、現代の文明国家では外敵から突然襲われて命を落とすなんて事態はそうそう起こりません。

そのため過剰な不安の感じやすさは益どころかむしろ仇になってしまうような状況です。

また、あまりに他者に感情移入してしまうのも様々な職業で業務を効率的に行う支障になりそうですねえ。

仕事に私情を入れ過ぎて収拾がつかないなんてこともありそうです。

さらに感情移入について言うと何かしらの事件や事故のニュースが流れてきて、普通の人が「うわあ、治安悪くなってきてんかなあ。心配だ」と思うくらいですむ所を過剰に被害者の事を考えて泣いたり体調悪くなったりするなんて事もあるようですね。

これを他人が見たら「優しい人、思いやりがある慈悲深い人」というプラス評価なのかもしれませんが、本人からしたら不便で不便で厄介な感覚かもしれません。

正直、こんなことが常では日常生活が安心して送れませんし仕事のパフォーマンスなんかも安定しないでしょう。

人並み以上に心を乱さないためにはかなりのコストがかかります。

実際こういった事から、「感受性なんて低い方がいい!ていうかいらない!」なんて言い出す人も実際にあったことが結構ありますね。

また余談ながらこういった感受性が強すぎる人は、少なくとも心理カウンセラーを始めとした人の感情に直に接するタイプの職種全般には基本的に向いてない気がしています。

病み気味の人とやり取りしているとすぐに自分の精神が死んで何もできなくなるなんてことがありそうです。

人の心理、特にネガティブな感情とじかに相対する職種に必要な共感とは、情動的共感というよりも認知的共感の方ですからね。

「相手は悲しんでいる」と認識することは大事ですが、相手の感情を自分に写し取るのは危険な行為なのです。

自分が病んだらミイラ取りがミイラになるみたいな状態で、何が何やらって感じになります。

誰も幸せになりませんし、何より相手の役には立てません。

むしろ極端な言い方ですが、相手の感情を全く写し取らない人の方が「水準以上のパフォーマンスを長時間にわたって維持できる」ので、職業適性は非常に高く有能になる可能性も高いと思ったりしますね。

こう言った理由で、わたしは「自他の感情を一緒にする様な情動的共感は重要ではない」といっているわけです。

、、、、まあ、少々悪口のような感じになってしまったかもしれませんが、実利的な面から言うと感受性の高さはあまり有用ではないかもしれないという事ですね。

わたしの見識不足は当然あるとして、わたしはそんな気がしております。

感受性の高さを恨む必要はない

さて「感受性の高さは現代社会ではあまり有用ではない気がする」とは言いましたが、「無益だ!役に立たない!」とは言いませんでしたね。

ええ、「『あまり』有用ではない『かもしれない』」と言いました。

なので「使い方次第で役に立つ場合だってある」のは間違いないのです。

際立った特徴というのは、「個性であり他の人にはない武器」ともなりえます。

感受性の高さとは「扱いの難しい武器」だと思えばいいんですな。

ゲームとかでかなり使用制限や発動条件が限定的だけど発動すると敵を一気に壊滅させることができる魔法や技ってありますね。

高い感受性というのも、それと同じで適切に使いこなせば他の追随を許さない結果を出せるけどその使いどころや制御が難しい能力と言っていいと思います。

ですので、「感受性の高さは才能であり武器である」と誇っていいのです。

これは気休めで言っているわけではないですよ?

本心です。

ただ感受性が大きな成果を生み出す可能性がある職種や分野にはかなり偏りがあると思うのでそこは注意が必要だと思います。

例えば以下の様な職種には特に適性がある気が個人的にしていますね。

  • ライター
  • クリエイター全般
  • 研究職(文学系)

そして先ほど「感受性が高い人は基本的に人のネガティブな感情と近距離で接する職種には不向きではない」なんて言いましたが、それは「自他の感情を混同しやすいから」という話です。

もし感情移入に耐えうるだけの精神力や十分なストレスケア手法、十分なメタ認知力の獲得があったなら、また話は別だと思います。

おそらく感受性が強いからこそのアプローチというのものがあると思うので、人のネガティブな感情と接する職種でもその真価を発揮することはできるでしょう。

ただそのためにはかなりストレス耐性をあげる必要があると思います。

まず優先で行うべきは、「自分の情熱をいくらつぎ込んでも際限ない程に感じる物事(コアパーソナルプロジェクト)を見つける」という事です。

これはちょっとオカルト的な言い方で個人的には好まないものの、「使命感を感じる物事を見つける事」と言ってもいいかもしれませんな。

使命感を感じる物事の探し方やストレス耐性に関しては以下の記事を参考にしてみてくださいな。

本当にあなたは鈍感になりたいのか?

感受性が高いことで不便を感じることも多いかもしれません。

「なんでこんなどうでもいい事で動揺してしまうんだろうか」

「こんなに心が不安定では仕事に差し支える」

、、、、いろんな悩みがあると思います。

上述したように確かに実利面から考えると、現代社会では高い感受性は足かせになることも多いでしょう。

ただ「感受性なんてなくなってしまえばいい!」とか「感受性が低くなって心が全くざわつかない様になりさえすればいい!」と思う人たちは、ここで一度考えてみてほしいのです。

「本当に鈍感になりたいのか?」と。

確かに感受性が低くなれば、悲しいニュースを聞いても「あっそう」と気になりませんし思考もシンプルで合理的になり優先順位もてきぱきと効率的につけて迅速にタスクをこなせるかもしれません。

でもその代わり、「今まで見えていた物が見えなくなる」はずです。

感受性が豊かだと何気ない当たり前の風景にも色んな意味や感情を感じるので、それだけいろんなもののとらえ方や感じ方ができるといえます。

例えば晴れ渡った青い空を見て感受性の低い人はただ「よく晴れた空」とか「青い空」くらいぢか思わないかもしれませんが、感受性豊かだともっと何か別の複雑な意味合いや色彩をそこに見出すでしょう。

感受性が低い人にとって物事を決断することはおそらく容易です。

それというのも「そもそもの感じ取る情報が少ないので情報の取捨選択が楽」だからですな。

対して、感受性が豊かだと少し見聞きしただけで色んな情報をそこから得てしまうので処理が大変でしょう。

でも逆を言えば、これは「日々の何気ない生活をじっくりと味わっている」ともいえますな。

日々の生活のつらなりが人生となっていきますので、感受性が豊かだと「人生を存分に味わえる」とも言えます。

その時々の体験やその体験に基づく感情をより深く味わっていけるという意味では、生きている実感が持てるとか人生をシッカリと生きている感覚が持てるのではないかなって思ったりもします。

確かに感受性豊かであると感動することも沢山ある一方で、感情が圧倒されるような悲しいことも沢山あるでしょう。

しかしそういった経験を経て、今の自分の中には「これは大事にしていきたい」といった人生の方針というか何か大事にしたいものができてきてはいないですかね?

感受性が低くなったら、せっかくわかったその「大事にしたいもの」が大事ではなくなり、ひどい場合は「ゴミ」と言った認識になるかもしれません。

さて、そんな風になるとして、今の自分は感受性が低くなった後の自分を許せるでしょうか?

多分、多くの場合嫌な気分になるのではないかと思います。

わたしは、その気持ちはしっかりと大事にした宝飯鵜がいいと思いますね。

感受性が低くなる事で得られることもある反面、失うものもあります。

その失うものが今までの人生を通して発見した貴重なものだった場合、失うことに耐えれらるのかってことですな。

それに今までの自分やその感じてきた感情を否定する事は、少し極端な言い方をするならそれまでの人生を否定しなかったものにしようとするのと同じわけですな。

月並みな言い方になって本当に申し訳ないですが、やはり自分の人生を否定せずに受け入れて生きていくのがいいのと思いますね。

ここまで来ても「いや、感受性なんていらん」という人もいるでしょう。

そういう人の場合はもう何とかして「自分で自分の感受性が生かせる環境を整えていく」しかないです。

かなりの冒険ではありますが、職種や職場を変える、自分に合ったメンタルケアの方法を沢山見つけておいて実践してストレスを軽減する等が必要になるでしょう。

やはり、他人に

「わたしはストレス感じやすいんだからストレスを感じさせない様にしろよ!」

等と言っても、基本的には

「は?知らねえよ?あんたの感受性の高さに気をつけてわたしたちに何の得がありますか?」

みたいな話になると思います。

他人は変えられませんので、自分から環境を整備すべく動かないといけないんじゃないかなあって思いますなあ。

それにわたしは、他人の善意を当てにした対処には限界があると思っています。

理想を言うなら、わたしだって「お互い様で助け合っていけるように信頼関係を作って、、、」とか言いたいです。

でも、、、どうも多くの日本の職場ではその手の論法が通じる様な状況ではない気がして仕方がないんですよね、、、。

誰かの快適さのために誰かが我慢や配慮を強制されて、その結果また一人また一人と病む人が増えていく、、、そんな職場も沢山ある気がします。

そんな環境において他人の善意を当てにして果たして感受性の高い人が居心地のいい環境が実現するのだろうか、、、、はなはだ疑問です。

ですので、他人に配慮を期待しすぎるのもちょっとどうなんだろうか?と思ったりしてしまうのです。

やっぱりすでにサポートがしっかりしているとか同じような感性の人が多い、ないし活躍して成果を出している職場や職種とかを選んでいった方が現実的じゃないかなって思いますねえ。

やっぱり他人に変わることを期待してもなあってのが正直な感じです。

既に趣味で絵やハンドメイド等といった事をしている人は、副業的にココナラに登録してクリエイターデビューして後々そっちの道で生きていく方法を模索してもいいかもしれませんな。



おわりに

この記事は「感受性が強い人が感受性を低くする事はできるのだろうか?」と題しておおくりしました。

感受性の高低は、主に遺伝子によって決まっているといえるため後天的に感受性を低くすることは出来ません。

なので、「どう感受性の負の側面を抑制してプラス面を引き出すか」が焦点になるといっていいでしょう。

きちんとメンタルケアを徹底しつつ、感受性の高さを上手く使いこなしていきましょう。

感受性の高さは、扱いが難しいもののかなり有用な武器ですからな。

では!



参考

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