「この世界にいわゆる「いい性格の人」なんて誰一人としていない気がする。みんなうまくネコ被って生きてるだけだ!だから、たまに聞く「心が綺麗な人ほど生きづらい」て言い回しには違和感だよ。結局、あの言い回しは現実を直視するメンタルの強さがない弱者の逃げの方便と身勝手な自己正当化なんじゃない?」
、、、まあ、いい性格って何をもって「いい」っていうのか問題ではあるよねえ。
オニギリス!
脱マンネリストのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「綺麗な心の人は生きづらい?性格がいい人ってどんな人?「いい性格も綺麗な心もない」」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
- 「心が綺麗な人ほど生きづらい」をいうフレーズが正しいのか考察してみたい人
- いい性格って結局何なのか気になっている人
よく「綺麗な心の人ほど生きづらい」とか「いい性格の人ほど割を食う」なんて言い回しが、世の中では昔から言われていますな。
そこで気になるのが、こういうことを言う人たちってどういう人たちなのかってことです。
もちろん、「~な人たちだ!」と断定する十分な根拠をわたしは有していません。
しかし、個人的にこういったことを言うのは、「メンタルが弱く共感性が高い人達」のような気がします。
さらに言うと、理想主義者的傾向が高い気もしますね。
一方で、「現実だけしか見ない。現実に対処するだけだ」という現実主義者たちは、この手の嘆きをはくことはないでしょう。
彼らにとって「綺麗かどうか」なんていう評価は無用だからです。
現実に即した「利益があるか」だけしか問題ではないのですから。
現実をありのままに見つめ、適応ないし適応できる居場所を探すが生き残る最善です。
つまり、心の綺麗さをことさら問題とする人たちは、現実と理想のバランスの取れた思考をすることが大事ってことですな。
そして、メンタルを強くすること。
また、「いい性格」の「いい」も評価にすぎないため、「本当はそんな性格は存在しないもの」です。
じゃあ、いい性格って何なんでしょうね?
今回はそこんとこについて少し考えてみたいと思う次第。
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では、ゆるりとおおくりします。
目次
「綺麗な心」も「いい性格」もそんなものはそもそも存在しない
まず重要なことですが、「綺麗な心」も「いい性格」のどちらもそもそも「存在しないもの」です。
それというのも、「綺麗」や「いい」の評価基準というのは人によってまちまちだからです。
もし、ここに倫理や道徳という基準を据えようとしても、そもそも倫理や道徳にしたって基準の一つにすぎないため「絶対不変の真理や摂理」などではありません。
なので、全てのものは「ただそのようにある」だけであり、そもそもいいもクソもないってことですね。
綺麗なものもいいものも、誰かが「そのように評価したから『その当人にとっては』綺麗だったり良かったりするだけ」のことです。
なんか、「生きている意味はあるのか?」みたいな漠然とした問いに通ずるところがありますね。
よく綺麗事好きな人たちは「全ての人には生れてきた意味や使命がある」なんて言いますが、わたしからすると世迷言の類を言っているようにしか思えません。
自然の摂理における「人の生きる意味」ってことなら、それは自然科学者の方々に解明をお願いするしかないですね。
それは、わたしなんぞの頭脳では知りえる類のものではないです。
少なくとも、一個人が語りえる範囲を超えている気がします。
ただ一般的な文脈で言うなら、そもそも「全ての人間に生きている意味などない」です。
あろうはずがない。
結局、生きている意味は「自分で決めるしかない」といえましょう。
人は、「ただ1人で生まれ、ただ1人で死んでいくだけの存在」であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
時間の流れにおける、後にも先にもつながりのないただの一点。
瞬間の光の明滅。
人間は基本的に利己的です。
ただ、集団を維持することが自身の生存にとって利するなら犠牲を払うこともありますね。
その本質は「種や自身の遺伝子の保存」であるため、個体によっては自身を過度に犠牲にしてでも集団の利益のために身を捧げます。
自身をかえりみない逸脱者に対する嫌がらせであるスパイト行動もその一つです。
参考記事等
「自己の遺伝子の保存に特化している」のが、サイコパスってことになるでしょうね。
まあ、こういったことは「ただそういう傾向や事実がある」というだけで「善悪で判断しえないもの」といえましょう。
集団を形成し統制をとるためにはある程度、その構成員が共通の価値観を共有しないと集団が瓦解するので倫理や道徳なんてものが登場してくるってだけです。
そもそも、「綺麗」も「いいもない」ってことですな。
何かの目的のために役に立つから存在しているという感じです。
これは大事だと思います。
「綺麗な心である」を「免罪符」にしてはいけない
よくメンタル弱い人や理想主義者たちは言います。
「綺麗な心の持ち主ほど生きづらい」などと。
このような発言をする人の「綺麗な状態」はその人にとっての「理想状態」であって、「その人の頭の中にしかないもの」です。
「心が美しい人が傷つきやすい」のではなく、単に「共感性が高いなどしてメンタルが弱めの人が傷つきやすい」だけの事なんですね。
例えば、このような傾向は内向型のHSPやMBTIでいえばinfpの人などには顕著でしょう。
別に不安を感じやすい性格や気質を持っているというのであれば、その不安を低減するためにどうしたらいいかを現実的に考えて行動していったらいいだけです。
綺麗とかいってあやふやにするよりも、「そう感じてしまうのはなぜなのか?どうしたらこの不安が減らせるのか?」という視点からアプローチしたほうが生きやすくなりますな。
もし、「綺麗な心の人(自分を含む)ほど~」などとばかり言っていたら、「自分は被害者だ」なんて意識ばかりが肥大化して他者との人間関係やメンタルの状態が非常に悪化していくでしょう。
「綺麗な心であること」が、免罪符になることなどありえません。
もし理想があるなら、それに少しでも近づけるように自分なりに行動すればいいだけなんですね。
ただ、自分の理想を人に意見を押し付けても逆効果なので、理想は人に押し付けず自分で体現するのをおすすめしマウス。
きっと、あなたが毅然と行動するなら、同志があなたのあとをおってきます。
一応、メンタルの強化に役立ちそうな記事等を置いときますね。
いい性格の「いい」って何が基準??
では、次に「いい性格」というものについて考えてみたいと思います。
現実的に考えるなら、「いい性格」というのは「自分にとって都合のいい性格」のことです。
よくいう「親切で思いやりがある人」も「誠実で礼儀正しい人」、「愛想がいい人」もみんな「自分にとって都合がいい」、もっというなら「なんらかの快感情をあたえてくれる」ってことです。
親切な人や愛想がいい人からは「明るい気持ちや安心感」をもらえるかもしれません。
誠実な人も行動に一貫性があるので安心感があるといえましょう。
※人は不確実で予想できないものを嫌う傾向がある。
結局、いい性格がどうかは「その評価する当人にとって快感情が生じるものかどうか」ってことに尽きると思うんですね。
で、現実的に「いい性格の人」になりたいのであれば、
まずは、「自分の負担にならない程度の小さな親切を日ごろから行う事」をおすすめしたいとことです。
レジの人に会計後に「お疲れ様」を言うでもいいし、飲食店での会計の後に「ごちそうさま」いうでも、感謝の意をスグに言葉にするみたいな本当に些細なことでいいんですね。
それに親切にするようにしていると、外見の評価が上がるなんて研究結果も存在してますねえ。
親切にはいいことが沢山あるんです
なお、理想的な人間関係の基準の一つに「お互いが対等である」というものがあります。
「どちらかだけが一方的に得をして他方が損ばかりする搾取構造はダメだ」ということなんです。
自己犠牲をするということはこの搾取構造に自らはまっていくことを意味しているので、自己犠牲はしないようにしましょう。
それに自分を犠牲にしてまで人の世話を焼いたりしていると、「どうしてここまでしてやっているのに、、、」みたいに愚痴っぽくなって恩着せがましくなったりもしてしまいますね。
自己犠牲なんてしていいことはありません。
賢い人は優しく人格者、愚か者ほど他人に厳しい嫌な奴?
親切はめぐりめぐって自分に返ってくるなんて言われたりしますが、これは別にただの理想論でも綺麗事でもないです。
確かに、すぐには返ってこないかもしれないですが、そもそも親切にすると上述したように外見の評価が上がったりしますし自己犠牲をしない親切は良好な人間関係を築くのに大いに資するものといえます。
事実、心理学者のアダム=グラントさんによると、社会的に成功者といわれる人は「よく与える人」だといいます。
親切にしていいことはあっても悪いことなんてないのです。
しかし、長期的な視点で物事を見ることができない衝動的な人たちは人に対して、往々にして不親切で陰険だったりすることがあります。
自分の「今現在の短期的な利益しか考えられない人」の中には一定数こういったいわゆる「嫌な悪い性格の人」がいるもんです。
ある意味で、人に積極的に親切にするいわゆる人格者は長期的な利益を見据えているので賢く、粗暴で不親切な人ほど物事を短期的にしか考えられない愚か者であるとも言えそうですな。
少し口悪いけどさ。
長期的な目線で物事をとらえられるようになりたいもんですなあ。
おわりに
この記事は「綺麗な心の人は生きづらい?性格がいい人ってどんな人?「いい性格も綺麗な心もない」」と題しておおくりしました。
綺麗な心の「綺麗」も、いい性格の「いい」もどちらも個人の評価にすぎないので、「綺麗な心の人ほど~」という言い回し自体にあまり意味はない気がします。
このような事はメンタルが弱かったり理想主義的すぎる人に多い気がするので、現実的に言うならメンタルを強化するなどすればいいのです。
理想は「こうだったらいいな。だから、この方向へ進もう」という人生の羅針盤的な使い方をしたらいいと思いますね。
理想通りになることは決してないため、理想を追いすぎると報われず暗い気持ちになります
理想は軽くもつのがいいですよ。
そして、いい性格になりたいのなら、日頃から長期的視点に立って物事を考えて、小さな親切を積極的に行っていくといいと思います。
まあ、親切はめぐりめぐって自分のところへ帰ってくるんですよ。
時間はかかるけどね。
なお、日々の生活で心に癒しが欲しいという人はペットロボット等を購入してみるのもいいかもしれません。
ペットの場合、ペットロスやアレルギー、そしてペットのご飯代やワクチン代等で費用がかさむ、、、等の様々な問題がありますがペットロボットだとその点は心配いりませんからね。
ペットロボットだと感情表現豊かなラボットが一番よさそうな気はします。
ま、気になったら自宅に迎えてあげてくださいな。
では!
参考記事等