「一体自分は何のために生きているんだろう?生れてきたからには、何か使命があるんだろうか?」
まあ、そんな大層なものあるのかわからんなあ。
それにそんなもんいらんと思うけどね。
人間は「ただ生きているから生きている」ってだけでよくない?
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「普遍的な生きている意味なんていらないよ。意味が欲しいなら自分で決めろ」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・生きていることに意味があるのかわからない人
・話のネタを探している人等
早速ですけども、人が生きている意味ってなんでしょう?
以前ロゴセラピーについての記事にて、「既に与えられている自分の人生の意味に気づく」というアプローチによって精神的安定が得られることに言及しました。
ロゴセラピーは手法としては大変面白いものですが、そもそも人間には元々生きる意味があるのかは中々難しい問題です。
きっと生きる意味が欲しい人は沢山いると思うのですが、「実際に生きることに意味がある」事を証明するのは非常に困難でしょう。
そんな生きる意味について「きっと何かあるはずだ!」なんて躍起になって探しても、まあ疲れてしまうというものです。
なので「まあ生きているから生きているだけよな」くらいに気楽に構えていいんじゃないかって思いますね。
変に使命がどうこうとかそんなこと言っていても生きにくくなるだけでしょうしねえ。
てな感じで、今回は主観バリバリの内容です。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
普遍的な生きる意味なんてあるのか?
普遍的な「生きる意味」というものはおそらくないでしょう。
もし普遍的な意味があったとしても、それは宇宙の摂理のようなものであって現在人間が知覚できるようなものではないでしょう。
なので、「人間はそんなものを誰も知らない」のかもしれません。
また、知ったとしてもそれが個人の人生に資するものである保証もありませんね。
すくなくとも、そういったあまりに不確定なものに関しては「ないことを前提にして生きた方がいいだろう」というのがわたしの立場です。
宇宙物理学者等が研究するならともかく、門外漢がこのような事を考えるだけあまり意味があるとは言えないと思います。
そんな事を考えているのなら、いろいろなことに挑戦して自分が心がから楽しいと思えることを探した方がよほど有益かと思ってしまいますね。
なのではっきり言って、様々な宗教で神という存在を設定している一因に、「普遍的な生きる意味等の様なものを欲している人が世界には多い」という事がある気がします。
ですので例えば使命や天命といった話は結局、「生きている意味が欲しい」みたいな人の願望が生み出した妄想の類だと思うんですよね。
ただ生きる意味がない人生は生きていても、どうにも虚しさを感じるものなので意味を欲しがる人の気持ちはわからないではありません。
しかし、だからと言って自分以外の超越者のような存在にすがって意味を与えてもらおうという発想にはあまり共感できませんし何か違和感を覚えますな。
もし一たび「これが天がわたしに提示した私の生きる意味だ」なんて思うなら、それにとらわれ生きることになりますね。
そうなると、使命にこだわる事によりわざわざ自分で自分の人生の可能性の幅を狭め、自分を苦しめようとしている様に見えるので完全に使命の設定は愚行の一つに思えてしまいます。
もし神によらず「普遍的な生きる意味」を「宇宙や自然の摂理」に求めても、その全容は未だ人間の知るところではありませんのでどうにもなりません。
なので、個人的に普遍的な生きる意味を追求してもあまり人生に有効ではない気がしているんです。
あくまでわたしとしては「普遍的な生きる意味なんて必要ない」と思いますし、それでこそ気楽でストレス少なく幸せに生きれるんじゃないかなって思っています。
生きる意味は自分で作るのがいい
自分の生きる意味は、自分で設定するのがいいです。
それもその人生のライフステージのそれぞれでその都度変わり続けるものでいいんですね。
間違っても神なんて大層な妄想のもとに使命だとか天命だとかの様な世迷言を言い出さない方がいいでしょう。
基本的には自分の人生は自分で何とかしていくものだと思いますし、それ以外に何があるのかと思ってしまいますから。
事実、人から押し付けられた選択に人は反発してしまうという心理作用が存在していますので、どんな選択であっても「自分の意思で選択する」のが重要なんです。
なので人生の選択についても同様でして、「なるべく自分の意思でどんな選択も選び取っていく」という姿勢が欠かせません。
「天に与えられた意味」では、「自分が選択した意味」にならない可能性が高いでしょう。
自分以外の超越者などに自分の人生の決定権を握らせてはいけないといえます。
全部自分で決めることが重要です。
そして人生の目的は人それぞれでしょうが、およそ多くの人は「幸せになりたい」と考えているでしょうし、わたしもそう考えています。
なので、幸せになるのに有効かどうかという視点で生きる意味の設定も考える必要があるといえるでしょう。
間違っても、自分が不幸になるような生きる意味を設定するべきではないと思いますし、そういった意味を設定してしまう人がいるならそれは大変悲しいことです。
やはり、幸せを感じられる人が増えてくれた方がいいですからね。
生きる意味にとらわれて人生苦しくなったら本末転倒である
しつこいですがもう一度言っておくと、生きる意味の設定に関しては以下のようなことを念頭に置いておく必要があるでしょう。
- 自分で選択して決める
- 人生のライフステージの変化に合わせて、その都度人生の意味は変えていいものである
- 自分が幸せを感じられる意味を設定する
上記を踏まえて、もし生きる意味が欲しいならば、自分の生きる意味を設定してみるといいと思います。
もちろん、人生の生きる意味を設定してもその意味によって自分の人生を束縛しては本末転倒です。
人生の意味なんて自分の価値観の変化等をその都度加味して、さまざまに変化して言っていいものなんですね。
固定化されたものではないのです。
生きる意味を一たび定めても、それに固執しすぎないようにしていきたいものですな。
生きる意味の設定を具体的にやりたい人は、以下の記事を参考にしてみてくださいな。
おわりに
この記事は「普遍的な生きている意味なんていらないよ。意味が欲しいなら自分で決めろ」と題しておおくりしました。
自分の人生の意味は自分で決めるのがいいです。
しかし意味はその時々で変わりうるものですから、一度決めた意味に固執過ぎるのもやめにするが吉ですね。
そして間違っても、自分以外の誰かにすがって生きる意味を与えてもらうといった思考で設定しない方がいいでしょう。
「一体あなたはだれの人生を生きているんだ?」って話になりますからね。
自分で自分の人生の意味を選択して、幸せになっていきたいものです。
では!
参考記事等