育ちがいいって一体どういう事なんだろうか?ちょっと考えて見たい

「なんか育ちがいいと言われる人って、大体品がある様な気がするけども品ってそもそもなんなのか、何で感じるのかよくわからないなあ。そしてそもそも育ちがいいとか悪いとかってどういう事なんだろうか?」

んー、育ちがいい、、、、そうねえ、、、やっぱり礼儀の有無で考えるのが多分一番じゃない?

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「育ちがいいって一体どういう事なんだろうか?ちょっと考えて見たい」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・育ちの良さを測る基準とは何か気になる人
・礼儀なんてクソくらえと思っている人
・礼儀のない人が嫌いなのは少し視野が狭いのかと気になっている人
・人間関係をよくするには何が必要か気になっている人
・話しのネタが欲しい人等

みなさんは育ちがいい人や品のある人っていうと、どんな人を想像するでしょうか??

多分、その想像は実に三者三様でしょうけども、およそ共通した特徴を持っていると思います。

あなたが想像した育ちがいい人には「礼儀正しい」という特徴がありませんか?

多分、あると思うんですよね。

これはわたしの想像なんですけども。

で、結局わたしは「育ちのいい悪いは礼儀で判断するしかない」って思います。

ここで、「けっ、礼儀かよ。下らね!」とあhん発する人も一定数いると思うんです。

しかし、「世を生き抜くために礼儀は絶対に欠かせない」ですし、「組織や社会で長期的に力を得ていきたいなら何が何でも持っておくべきスキル」とすらいえるかと思います。

確かに、どこぞのマナー講師のように訳の分からないマナーを創造し重箱の隅をつつくような細かいマナー違反を口角泡飛ばしながら糾弾するような行き過ぎたマネはさすがにどうかしていますよ。

とはいえ、礼儀なくして人間関係なんて成立しないものです。

そもそも礼儀が社会に発生し必要とされるのかという事から考えていくと、礼儀の存在は無視できないんですよ。

なので、頭角を現したいなら実力も大事ですが礼儀も一つのスキルとして身に着けていきたいものです。

、、、とまあ、育ちの悪い私が言っています(笑)。

では、ゆるりとおおくりします。

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育ちがいいとは一般的にどういう意味?

まずは一般に「育」とは、どういう意味で使われている言葉なのかを確認してみましょう。

辞書によると、「育ち」とは以下のような意味であるそうな。

〔名〕 (動詞「そだつ(育)」の連用形の名詞化)

① 成長すること。成育。また、成育の状態。〔日葡辞書(1603‐04)〕

*俳諧・続猿蓑(1698)春「黒ぼこの松のそだちやわか緑〈土芳〉」

② 育てられ方。育った境遇や、育つときに受けたしつけなど。そだちかた。素姓(すじょう)。そだちがら。

*俳諧・毛吹草(1638)五「氏もよしそだちもよしや藤の棚〈宗房〉」

③ (接尾語的に用いる) その場所に生まれて成長すること。また、そのような育てられ方をすること。「温室そだち」「お嬢様そだち」など。

*平家(13C前)九「わどのは東国そだちのものの、けふはじめてみる西国の山の案内者、大にまことしからず」

引用
Weblio
https://www.weblio.jp/content/%E8%82%B2%E3%81%A1

ふむ、どうやら「育ち」の意味にしつけなどが入っているの事から、育ちがいいとは「礼儀正しい」みたいな感じでとらえてよさそうですな。

育ちがいい人には品があるがその理由は礼儀にあり

育ちがいい人には品、つまり「好ましいと思われるような品格」があるわけですが、その品格を対外的に一番象徴するのが「礼儀」でしょう。

人によっては、「育ちがいい人は人に嫉妬しないし人を恨まない」みたいなかなり誇張されたイメージを持っているようですが、やはり人である限りそういったネガティブ感情と全く無縁でいられるわけはありません。

もし完全に無縁であるとしたなら、個人的には「ただの世間知らずの類」か「ただの見栄張り」、「勝手に観測者が思い込んでものを見た結果」でしかないと思っています。

でも、確かに育ちがいいといわれる人たちは、露骨に他人をうらやんだり恨んだりといった行動をとりません。

それはなぜかと言えば、それはひとえに礼儀作法を身に着け体得していく過程で「そういったネガティブ感情が他人にどういった影響を及ぼすかをよく知っているから」に他ならないでしょう。

露骨に嫉妬をあらわにしたりすれば、「この人は嫉妬深い性格でなんか好感が持てない」なんて思われるという事等をよく知っているという事です。

ただ、個人的にこういった事を主に「悪く思われたくないから」と言った動機で無理やり実践している人は、単に「礼儀正しい自分に縛られているだけ」であってあまり礼儀を使いこなせているとは言えないと思っています。

「礼儀なんて所詮形式にすぎないからいらない」はかなり考えが甘いと思う

礼儀を大事にしたほうがいいというと、「なんだ形式主義者か」とバカにする人もいるかもしれません。

実際、わたしも社交辞令の類は嫌いですから気持ちはわからないではないですよ。

ただ、だからと言って礼儀なんていらんとは思いません。

以前は「礼儀など不要。力で屈服させて服従させればそれでいい」と思っていた時期もありましたが、今ではそう思っていません。

確かに、礼儀をただマニュアル的に模倣するだけでは単なる形式に過ぎません。

それは確かなのですが、形式も非常に重要なのです。

形式がないという事は、何でもありで場当たり的になってしまうので収拾がつかなくなるというリスクがります。

その都度その都度考えていたら、何も事が前に進みません。

多少余談っぽい話ですが、よく就活時期になると学歴フィルターの話題が問題になりますが、あれも実務上は結構重要な事です。

正直、学歴と能力が比例しないのなんておそらく人事をやっておられる方々ならとっくに知っているはずです。

しかし、新入社員の段階での能力の高低なんて分かりはしません。

実際、海外の研究には「面接ではその人の脳力なんて見抜けない」というものもあったはずです。

「形式的であっても判断基準がある」というのは判断を行う上で欠かせない事なんです。

そうなると、「何か目に見える指標を置いておかないと作業が何も前に進まない」という話になりますね。

もし目で見て判断できるような形式がないとすれば、もう各自がそれぞれに色々と頭をひねって独自の基準を作らないといけません。

これは本当に大変な事で、中々独自に妥当な基準を探し当てるなんてできないですしその試行錯誤にはかなりのコストを要します。

こういったコストは優先順位をつけて投入していかないとまずいでしょうから、一概に形式な判断基準を採用することが悪いとは言えません。

もっとも、形式に頼りすぎる意識は厳に戒めねばいけないとも思いますけどね。

また、礼儀とは「その文化圏の仲間であるかそれとも部外者であるかを見分けるための指標」としての役割も果たします。

ですから、礼儀は敵か味方かを見分けるという防衛上の観点からも無視できないものです。

それに加えて、礼儀というものはその文化圏における歴史的な対人関係スキル、処世術の集積であり体系なんですな。

それも長い時間をかけて試行錯誤を重ねて作り上げられてきた歴史的産物。

これを「ただの過去の遺物」と一言で片づけるのは実にもったいないといえます。

確かに、現代と昔では文化がかなり変質しているためそっくりそのまま昔からの礼儀作法を現代に適用するのは間違っているのかもしれません。

しかし、人間は数万年前から進化が止まっているとも言いますから、基本的に礼儀の根本に流れる本質には現代に通用するものがあるとみて間違いないでしょう。

先ほどの学歴フィルターの話とは比較にならない程に、礼儀作法は悠久の時の流れと先人の試行錯誤の苦闘により磨き抜かれた洗練された一つの形式です。

表面上の礼儀にあまり固執するのは確かに違うのかもしれませんが、「礼儀は大事である」というのは間違いないので「この礼儀には一体何の意味や効果があるのだろうか」という事に思いをはせるくらいはしてみてもいいと思います。

事実、古の中国において、老子が「大道すたれて仁義あり」と儒教を批判したなんて話がありますし、形式に過度に固執して本質を考えないなんて話にはなりたくないものです。

ただ礼儀の持つ意味を自問自答して自分なりに答えを出すという作業を行っていくにつれ、本当の意味で礼儀に沿った行動をして行けるようになるんじゃないかって思ったりしますね。

まさに表面的なものが内化されていくって感じですな。

そういう意味では、なんだかんだ幼少期の礼儀作法のしつけ的なものは、ある程度しっかりと行われる必要があると思いますね。

礼儀なくして人との関係はうまくいかないものである

「親しき中にも礼儀あり」ということわざがありますが、あれは真理と言えましょう。

例えば親類縁者だからと言って、「俺がお困っているなら察して自分から手を貸して当然」なんて態度でこられては「おいおい、こっちにはこっちの都合もあるんだよ!頼みがあるなら事前に打診しろ!!」となるのが普通でしょう、

もし、「察して当然」等と平然と言ってのけるようでは、「もはや暴力とすらいえる」と思います。

なにしろ、「察して当然」という考えを押し付けるのに加えて親類縁者という立場を利用して、相手に罪悪感を植え付け思うとおりに動かそうとしてるのですから。

こんなことが許容できるはずはないでしょう。

著しく心理的距離感を測り間違った要求と言えます。

親類縁者と言えど、各自は他人なのです。

血がつながっていようと独立した主体なのですから、お互いの意思を尊重するのが道理というもの。

家族だから助けて当たり前なんて考えを持っていてはいけないという事です。

そんな考えでは、見捨てられても文句など言えないでしょう。

日本の礼儀の本質には、いわゆる思いやりというものがあるとされていますが、これは要するに「相手との適度な距離感を保つための配慮」の事と言えると思います。

以前の記事でも取り上げた、「相手に配慮しつつも言いたいことは伝える」アサーションというスキルも海外発祥のものとは言え、日本の礼儀と本質的な部分では同じかと思うんですね。

何をするにしても相手への配慮というのはそれなりに必要だという事です。

意見を言うにせよ、批判するにせよね。

それがなく、「ただ強ければ何をしてもいい」よか「自分が正しければ何をしてもいい」という極端な実力主義や正義中毒に陥ると長期的には成功しないし人間関係が上手くいかないでしょう。

ちなみに中国の現状についての識者の話をユーチューブなどを通じて聞いていてもこれは思うところですねえ。

ま、礼儀は大事だよってことです。

おわりに


この記事は「育ちがいいって一体どういう事なんだろうか?ちょっと考えて見たい」と題しておおくりしました。

育ちがいい人というのは、「礼儀正しい人」という解釈でいいと思われます。

礼儀が大事というと、形式主義的で嫌だと思う人もいるとは思いますが礼儀は人生を上手く運ぶためには非常に重要です。

なので、いつ何時も礼儀はある程度わきまえて人と接するようにしたいものですなあ。

ま、これは自戒の念も込めて言ってます

では!

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