今回は以下の様な方に向けておおくりします。
・自分はいらない人間なんだと思っている人
・いらない人間なんていないと思っているけどどうにも確信が持てない人
・話しのネタが欲しい人等
いわゆる快楽殺人鬼みたいなやつとか、モラルが無くてやりたい放題なやつとか必要なくね?
そういえば障害者は生きている価値が無いとかいう犯人が沢山の障害者を殺害する事件があったよなあ、、、、なんかいらないとかいるとかよく分かんなくなってきたぞ、、、。
てか、わたしだってそんな能力ないしいらなくね?、、、、
んー、生きている価値か、、、、難題だね。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「いらない人間はいないともいるとも言える。結局、視点次第」という話です。
今回は少し重い話題です。
あなたは自分の事を「いらない人間」だと思いますか?
それとも、「必要な人間」だと思いますでしょうか?
、、、はい、どうですかね。
さて、わたしは、今あなたに「自分がいらない人間か必要な人間か」と質問しましたが、「どういった理由で自身の必要不必要についての結論を出したのか」思い出してください。
そもそも、「必要か、いらないか」は何がしかの目的があって初めて決まる事なのです。
なので、あなたが今行った回答には無意識のうちに「どう行動する人間に価値があると自分は感じられるのか」という価値観が反映されているといえます。
この価値観を変える事が出来れば、あなたは自分を「無価値感への囚われ」から解放することができるのです。
もっと平たく言うと、いらない人間とかいる人間とかってのは、「どの観点からみるか」の問題でしかありません。
多少独りよがりでも、「自分自身の価値を自分が認めることさえできればいい」のですね。
誰の評価とも関係なしに自分の価値を信じられればいいという事。
ちょっと、今回は「自分は自分をいらない人間だ」と思う思考から脱却する方法を提案してみたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
いるかいらないかは「どこから見るか」で決まる
「いるかいらないかは、どの視点から見るか」で決まります。
何かがいるかいらないかを判断する時、そこには必ず何らかの「目的がある」はずです。
その目的の設定次第で何が必要か決まってきます。
もし目的が「イケメンや美人と付き合う事」であれば、いわゆる「見た目の残念な人」に用はないし、目的が「愚痴を聞いてすっきりしたい」のであれば「傾聴力の高い聞き手」が必要になりますね。
はい、目的があるからこそ「必要性がうまれる」んですよ。
なので、よく「わたしは社会に入らない人間なんだ、、、」なんて悩んでいる人には、まだ序盤だけど一言言いたい、、、、。
「きっと、あなたはいるべき場所を間違えている!」
とね。
人間だれしも長所もあれば短所もありますんで、戦う場所を間違わなければ「いらなくなる」事はないって話。
きれいごとのようですが本当の事です。
営業が上手くて経理がポンコツな人に経理やらせてもそりゃ「いらない人」になりますし、逆に経理が得意で営業がからっきしな人に営業させてもいつになってもうだつが上がらないでしょう。
そう、世界は「適材適所」でまわっているのですよ。
中には「長所が特殊すぎて活かし方が難しい人」がいるのも事実です。
でも、「長所が全く活用できないわけではない」ので後は頭の使い方です。
もし、自分の長所や才能がわからないのなら人にききましょう。
自分の事は他人に聞くとよくわかるもんです。
なお、才能の見つけ方についてはリンク先の記事が役に立つかもしれません。
自分をいらないと思う人は生産性にとらわれすぎている
現代を生きる多くの人は、自分を生産性の観点からばかり評価しています。
自分を生産性や合理性等といった観点からばかり評価していると、次第に生きるのが辛くなってくるものです。
現代社会ん位は、合理主義とか資本主義等々の影響下「生産性」というパワーワードがそこかしこで偉そうにふんぞり返っていますね。
かくいうわたしも以前は
「人間能力こそ全て。無能なんてみんな死んでしまった方がいい社会になる。もし、自分が無能で改善の余地もないなら存在する価値はないから潔く死んでやる。無能な自分なんて不愉快で活かしておけない!」
というバカとかアホなんていうありふれた言葉では形容しきれないほど頭の固いやつでした。
それに発言に実力が伴っていなかったんですね、、本当、哀れな過去のバカな自分、、、、。
いずれにせよ、当時の時分は大分生きづらいというかイライラしてあんまりメンタル的に健康であった記憶がありません。
今は、「必要かどうかってのは結局視点取りの問題だよね」と開き直れているので、結構心は軽くなりました。
ちなみに多少余談ですが、組織には、実際に有能というか上手く機能している人員が全体の3割くらいであるという話があります。
残り7割は怠けている状態です。
この比率は例え上記のような怠け組7割を全て追い出しても変わりません。
上記の3割の内の7割が今度は怠け出します。
なので、「有能で有効に機能している人だけの組織とか社会」というのは実現不可能だってこと。
いいんですよ、生産性なんてなくても。
どうせ、あってもなくても全体のバランスの上に決まっている事ですって。
生産性なんてあってもなくても「生きていていい」に決まっていますよ。
「愛されない人」はいらない人か?
「愛されない人はいらない人である」という話をたまに聞きますが、これは全く正しくないです。
当り前のことですが、この社会が人間を基準に成り立っている以上、人間関係を構築したり発展させられるものが優位に立てます。
そして、人間関係を語る上でコミュニケーション能力と同じくらいに重要と言えるのが「愛嬌」です。
愛嬌とは端的に言うなら「愛される力、人たらしの力」といっていいでしょう。
あの百姓から成りあがって天下をとった豊臣秀吉さんには、かなり愛嬌を持っていたと思われる逸話があります。
もっとも、彼は愛嬌に加えて抜群のコミュニケーション能力を持っていたのは間違いないでしょう。
※愛嬌も広義にはコミュニケーション能力であるという話もあるが、あくまでここでは別物としておく。
愛嬌があるというのはそれだけで生存に有利です。
「なんか憎めないヤツ」とか「なんだかんだで困っていると助けたくなるやつ」という人に心当たりありません?
いつも陽気だったり面白かったり、一緒にいて気分を良くしてくれる人もそうですねえ。
「利益」というと通常は金銭的なものに意識が向きがちではありますが、「ポジティブ感情」も「利益」であると言えます。
愛嬌がある人はそこに存在してくれているだけで「みんなにポジティブな感情をくれる」存在なんです。
もちろん「愛嬌があるかいなか」は相手の評価次第な面もありますが、愛嬌があれば生きていくのがずっと楽になります。
多くの人からの助けを得やすくなるのは間違いないですから。
一方で真面目すぎて冗談がまるでつうじないとかいつも陰気くさい、プライドが高くて偉そうなんて話になると、一緒にいて楽しくないので人はどんどん離れていきますね。
職場であれば、仕事における専門的スキルで他を圧倒していれば愛嬌がなくてもいいのでしょうが、そうでないなら結構な確率で「いらない人」とみなされるかもしれません。
、、、なので、個人的に男女問わず「いらない人といる人」を決定する因子として「愛嬌の有無」というものがあると思っています。
愛嬌についてくわしくはリンクからどうぞ。
愛嬌は後天的にでもある程度身につくと思うので、身につけない手はないでしょ。
いるかいらないかなんて「いらない」
自分は「いる人間か?はたまた、いらない人間か?」なんて思う事自体「いらない」です。
はい、ここまでいるかいらないかの判断は目的設定によるという方向性できましたが、愛嬌もいるいらないの判断に影響をあたえるといえそうです。
ただですね、愛嬌が無くてもやはり「自分の長所を把握して適切な場所で戦う」という事に変わりはないと言っていいと思います。
確かに現代はAIの発達もあって、コミュニケーション能力がどうとか人間にしかできない仕事しか残んないとか、、、まあ、いろんなことがいわれるくらいに激動しています。
そんな変化の激しい時代だからこそ一体何が目的とされて、何が必要とされるのか分からなくなるのも同感です。
でもですね、もう未来のことなんて正確になんて誰にもわからんのですよ。
わからんことを考えようったって無理なんですよ、わからないんだから。
だから、これからの時代の流れや未来はともかく、まずは「今やれること」を全力でやったらいいと思うんですね。
目の前の一瞬を大事にするから未来が開けてくるって感じ?
「今この一瞬に徹し続ける」姿勢が大事という事です。
まあ、気負わずいきましょう。
どうせ、いつの時代も居場所は探せばあるもんですよ。
で、ここで一つ質問ですが、あなたが人生に「こうあってほしい」という願いは何でしょうか?
まずそれに気が付くことができれば、かなり先行きが明るくなってくると思います。
自分が人生で何を大切にしたいと思っているのかをはっきりさせましょう。
「自分の人生への願いに気づきそれに沿って生きる方法」についての記事を参考にしてみて下さいまし。
自分んの人生に対する願いが分かると、自然と生きる活力がわいてくるものです。
おわりに
この記事では「いらない人間はいないともいるとも言える。結局、視点次第」と述べました。
何かが「いるとかいらないとかいう必要があるのは目的が設定されているから」です。
なので、達すべき目的がかわれば「いるものはかわる」のです。
あなたが自分を「いらない人間」だと思っているのなら、それは「あなたのいる場所がいるべき場所ではない」んですね、きっと。
なので、自分の性格を分析したり人に聞いたりするとか人生で欲しいものをある程度はっきりさせるとかするのもいいと思います。
まずは、各自性格分析をしてみて己を知るのも一つですね。
では!
参考記事等