「わたしよくお節介だって言われてしまってうっとおしがられる経験をしてきたから、最近は他人の話をよく聞いてから何をすべきか考えるように心がけているつもり。やっぱり自分にとって必要だと思うことが他人にとっての必要な事とは限らないよなあ。」
ふむ、そうだわな。
自分と他人は別の存在だもんね。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「ナイーブリアリズムとナイーブシニシズム」自分の都合で見方が狂う」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・ナイーブリアリズムについて知りたい人
・ナイーブシニシズムについて知りたい人
話のネタが欲しい人等
以前のソロモン王のパラドックスの記事でもふれましたが、人は自分のことを客観的に見れているようで全然そんなことはありません。
そして自分が思っていることを相手も思っていることであると勘違いしやすいのです。
そして逆に自分と相手の考えていることが似ているであろう場面で「多分相手は自分と同じようには思っていない」なんて考えることもあります。
こういった状態のことをナイーブリアリズムとかナイーブシニシズムと言ったりするのですな。
人が自分にとって都合がいい話を信じたがるのと関係しているといえるでしょう。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
ナイーブリアリズムってなんじゃ?
ナイーブリアリズムとは、端的に言うと
「自分が物事を客観的に見ているとに気になっている状態、自分が世界のありのままに見れていると無批判に思う傾向の事」
です。
ナイーブとは「純真な、甘い」等を意味しリアリズムとは写実主義、現実主義」等という意味なので、ナイーブリアリズムを和訳すると「甘い現実主義」等とできるでしょう。
ナイーブリアリズムが起こっている具体的な状況としては以下のようなものがあるでしょう。
- 自分が紅茶が好きだから、恋人に紅茶をあげたら喜んでくれるだろうと思う
- 自分が腹が立つ事柄について他の人も同じように腹を立てていると思い込む
- 友人に人間関係で困っていることがあると聞いて、自分が過去にコミュ障で悩んだ経験があったことから直ぐにその友人の困りごともコミュ力関係の事であると即断してしまう
わたしたちは何か大変な事が相手に起こったと聞けば、相手の心的状態に対して「つらくはないだろうか?、どれくらい悲しんでいるだろうか?」等とあれこれ考えてしまうものです。
しかし本人の心的状態を正確にいい当てることは誰にもできません。
とはいえ、人は油断していると自分の感じる心の痛みを相手の心の痛みと同じであると結び付けてしまいがちだと思います。
これが悪い方向で発揮されると、「独りよがりのお節介」なんて話になってしまうわけです。
このナイーブリアリズムは、「知覚の哲学」におけるダイレクトリアリズムの一種であるため、その起源は古代ギリシアにまでさかのぼれます。
ダイレクトリアリズムについての詳細は以下参照。
参考
https://en.wikipedia.org/wiki/Direct_and_indirect_realism
なお、ヴァンボーヴェンさん達によると、「他者の心的状態を推測する際には自分がどうであるかという事を投影する形によって推論を行いやすい」といいます。
参考
Experientialism, Materialism, and the Pursuit of Happiness
要するに「この状況にあっては、きっと自分だったらこう感じるだろう」といった思いに基づいて、他人の心的状態を推測しがちであるという事です。
しかし人間はそもそも自分自身が実際にある特定の状況に置かれて何を感じるか等という事を正確に予想することはできないので、この推測はまず当たらないでしょう。
この傾向はヴァンボーヴェンさん達による他者の心的状態を推論する過程について検討した実験によって確認されています。
その実験では参加者達にハイキングに出かけて遭難した人たちが「喉の渇き」と「飢え」のどちらでより苦しむかを想像させる課題を課しました。
参考
Social Projection of Transient Drive States.
その実験の概要というのが以下。
- 実験場所は大学内のスポーツジム
- 実験参加者の半数にはジムで運動する前に質問し、もう半数にはランニングマシンで汗をかいた直後に質問した
この結果、運動していない参加者達は「飢えで苦しむ」と回答したのに対して、運動後の参加者達は「喉の渇きで苦しむ」と回答したといいます。
ナイーブシニシズムってなんじゃ?
ナイーブシニシズムとはナイーブシニシズムとは逆に、
「自分と他者の心的状態が類似している可能性が高いにもかかわらず、他者と自分の心的状態が違うと思い込むこと」
です。
ちなみに、シニシズムとは「冷笑主義」という意味なので、ナイーブシニシズムとは「甘い冷笑主義」等と訳せそうですな。
※冷笑主義とは社会の風潮や事象などを冷笑、無視する態度のこと。
このナイーブシニシズムが起こっている例としては 「誰かと2人で共同作業したときに、自分の貢献度合いに関して相手に過大な期待をしてしまう」 というようなものがあるでしょう。
このナイーブシニシズムについての研究としては、クルーガーさんが行ったものが有名です。
この実験の概要は以下の通り。
- 実験参加者に2人同時にプレイヤ―になるテレビゲームとプレイしてもらう
- ゲーム終了後にゲームにおける好ましい結果(ポイントの獲得など)と好ましくない結果について、それぞれの貢献度や責任を評定しさらに相手の評定を推測した
参考
"Naive cynicism" in everyday theories of responsibility assessment: On biased assumptions of bias.
この結果、大雑把に言うと「他者の考えを推測する際には、自分はそうしないのに相手が相手自身にとって都合のいい様に貢献度と責任の程度を評価する」と推測していた問うことが分かったといいます。
この傾向の原因には「他者は自分よりも自分より様々なバイアスにとらわれそれから逃れられない」と考える傾向があるとされている模様。
認知バイアスでいうところの「バイアス死角」って感じですな。
おわりに
この記事は「「ナイーブリアリズムとナイーブシニシズム」自分の都合で見方が狂う」と題しておおくりしました。
人には「自分の思っていることを相手も思っていると勘違いしやすい」とかその反対に、「相手と自分も同じようなことを感じている可能性が高いにもかかわらず相手は違うことを考えいる」と考えてしまう心理傾向があります。
人間の心理って実に複雑ですよねえ。
かなり気をつけないとこういった心理傾向のせいで、現実を正しくとらえられない可能性がありますよね。
ということで、各自バイアスを外せるよう努力をしていきたいものです。
バイアスの外し方について参考になりそうな記事も最後に置いておきます。
認知バイアスを外していくためには、バイアスに関する知識を高めていくことが大事ですので、認知バイアスについてお互いに理解を深めていきたいものですよね。
では!
参考
https://en.wikipedia.org/wiki/Na%C3%AFve_realism
参考記事等