「自分は学校の教員をしているんだけど最近キモいとかキショい、キメえなんて言葉を使っている生徒をよく見かける。正直、そんな汚い言葉を使うなよって思ってしまう。安易にキモいなんて言葉を使ってほしくない。というか、そもそも安易にキモいなんて言葉を使う人たちはなんでそんなことができるのか、、、神経疑うわ。」
うーん、そうねえ、、、確かに気軽にキモいっていう人は結構いるよなあ。
感心しないよねえ、、、。
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「気持ち悪い」という感覚はどんなものなのか?「キモイって?」」という話です。
今回は以下の方に向けておおくりします。
キモいという言葉の背景にある心理を考察してみたい人
キモいという言葉を安易に吐く人が嫌いな人
今回は結構ちまたにありふれている「キモい」という言葉についてです。
以前、「キモい」のような少し変則的というかあまり「正当な日本語ではない」とされるような現代の若年代におけるスラングのような言葉について、取り上げました。
それが以下。
わたしは単純に「どんどん面白い言葉が新しく出てくるのはいいじゃん」という立場ですが、キモいという言葉を人に対して使うのは原則としてダメだろって感じがしています。
で、今回「キモイ」という言葉の背景にある心理を前回よりも、少しふかーく掘り返してみようかと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
「気持ち悪い」という表現はそもそも何か?
まず「キモい」という言葉の意味を考えていくにあたって、そのそもそもの語源ともいえる「気持ち悪い」の意味を少し深く考察する必要があるといえるでしょう。
「気持ち悪い」という感情は辞書的な意味でいうなら、
「心身の状態が悪い」とか「不満や疑問があって気分がモヤモヤする」、「見たり触ったりした感じがよくない」、、、
というものです。
いずれの意味もあいまいですね。
ただ、これらに共通する要素を抜き出してくるなら「不快感やストレスを感じる」ってところでしょうか、、、、?
ん?
全然具体的ではないだろって?
、、、、まあ、確かに。
でも、そういうしかないかなって感じがします。
なので、「気持ち悪い」といっている人がいたら、「何かに対して不快感を感じているんだな」って大雑把に考えればいいでしょう。
ただ、もう少し踏み込んで考えるなら「不快感はなぜ生じるのか?」という話になるでしょう。
不快感にもいろんなものがある(病気や生理現象等々いろいろある)ので、今回は主に「心因性であろうもの」に限定して話を進めたいかなって思う次第。
ここからはあくまで考察の域をでませんが、気持ち悪いの根源には「違和感」の存在があると思います。
例えば、子供が苦みを嫌うのには「毒物をさけるための本能があるから」だといわれたりします。
人間は自信の生命を維持するために害となるものを認識するために、苦みを感じるようになっているという話があるんですね。
で、経験を経て苦いものも食べれると知っていくわけです。
つまりですね、苦いものは本能的な観点からすると「本来食べるものではない」ので、「生体からしたら違和感がある(危機感といったほうがより適切かな、、、?)」といえるんだと思います。
そこを経験や理性によって徐々に軌道修正していくのが学習なんですわ。
あともう一つ例をあげるなら、人の切断された手足を見て恐怖したり気持ち悪いと感じる根源にあるのも違和感であろうと思われます。
手足は体の一部なので体と一体化しているのが当然なのに、それが体から分離されてしまっているのはすさまじい違和感です。
これも「生命維持」の本能からくる「違和感」ではないかと思うんですねえ。
ま、ここでは違和感なんて言葉を使ってはいますが、もしかしたら「本能からくる違和感」は「生命維持への危機感」といってしまってもいいのかもしれませんなあ。
ちと、話がまとまり悪くてすいやせん。
気持ち悪い=キモい?
やっと、本題です。
「キモい」の語源が「気持ち悪い」なのは疑いないでしょう。
なので、キモいは比較的若年層に使われるものの「気持ち悪い」とほぼ同じようなものと考えていいと思います。
ただ、上述したようにその根本にあるのは「違和感」であろうと思われますね。
まあ、容姿の問題が絡んでくると事は厄介になるので一応ここでは容姿は考慮に入れないで話を進めます。
例えば、あんまり笑いもしないし明るくもなく話もしないいわゆる陰キャなんて言われる人たちに対して「あいつキモくね」等という場合は陰キャの人たちに対して「違和感から来る不快感を感じている」といえるでしょう。
この際に感じている違和感というのは結局「相手が何を考えているかわからないから生じるもの」じゃないかなって感じがします。
明るい人はわかりやすく感情表現をするので相手からしたら「行動が予測しやすい」ので安心できるのです。
一方、口数が少なくて不愛想だったりすると感情が読めないので行動も予測できず「危ないからかかわらない」という判断になるかと思う次第。
この時に本能からくる違和感、つまり不快感が生まれるんではないかって感じですな。
ちなみにいわゆるブサイクな人をみて「キモ」といっているのはおそらく「黄金比率からかいりしすぎていて違和感があって不快」という趣旨だと思う次第。
※黄金比率とは美の基準であり古代ギリシャから存在している概念。人は誰でもこの比率のものを美しいと感じるとされている。
で、雑ながら総括すると「あいつキモくね?」みたいに言っている人がいたら「あいつを見て違和感を感じて不快になった」ということを意味しているのだと考えていいかと思います。
「キモい」ではなくもっと具体的に話せ!
気持ち悪いもそうですが、キモいという言葉は非常にその適応範囲が広いです。
以前の記事でもふれましたが、「キモいを濫用するとメンタル不安定になるんじゃね?」と思います。
これにはそれなりに根拠があります。
これは感情に関する語彙をよく知っている人ほどメンタルが安定するという研究があるからです。
感情に関する語彙をよく知っていると自分の今の感情がどんなものであるのかを具体的に描写することができますね。
自分の現在の感情を詳細かつ的確に言語化できるということは「自分自身を客観視することができる」ということを意味しています。
この「自分の現在の状況を客観的に見る」ということがメンタルの安定にはとても大事です。
これをマインドフルネス的な文脈で言うなら「気付き」ということになるでしょうか。
まずは、「自分の今の気持ちに気付く」ことがメンタル安定への第一歩であり、大きな躍進です。
「あ、自分は今おこっていたのか!」等と気が付くだけでも気持ちは安定するもの。
精神疾患でも「まずは自分がその病気であるとの病識をもつこと(病気であると認識する)事」で病状が改善したりすることもあります。
例えば醜形恐怖症や統合失調症なんかはそのいい例かもしれません。
統合失調症や醜形恐怖症について詳しくは以下。
まずは「自分の現状を認識すること」が大事。
なので、安易に「これキモくね?ww」みたいに簡単に片づけるのでなく、その言葉を言う前に
「このキモいはなんなんだ?いったい何に対して不快感を持っている?いったいなぜ不快感を感じた?」
と少し考えるようにしたいものです。
で、その「キモい」が誰かを害する目的で発しようとしていたなら、「それが本当に妥当なのか?」と検討したほうがいいですね。
そこから先の判断は正直本人次第ですが、まあ「キモい」なんて安易に使うなよって気はします。
特に人に対して使うのはどうかねって感じです。
ま、いずれにせよ言いたいのは、、
「キモいって言ってばっかの奴ってボキャ貧やん!ボキャブラリー貧民やん!!」
てことですわ。
以上
結論:キモイを多用しすぎるとメンヘラ化するかも
今回は「「気持ち悪い」という感覚はどんなものなのか?「キモイって?」」と題しておおくりしました。
「気持ち悪い」という言葉について今回は少しふかーく考察してみた次第。
キモいという言葉は「気持ち悪い」という言葉が派生したものと考えていいと思います。
しかし、「キモい」の意味をじーっくり考えると日本語の「気持ち悪い」とは結構乖離しているように思われるんですな。
キモいは実に多義的ですし、そうであるがゆえに安易に使われやすいといえるでしょう。
人の口に戸は建てられないとはよく言ったものですから、おそらく「キモいという言葉はよくないよな」なんてわたしが言ったところでなくなることはないんですわ。
でも、キモいなんてつかわないで「いったいこのキモいはどういう感情によるものなのか?」と考えることが大事ですねえ。
それをしないとメンタル不安定になるかもしれません。
では!
参考記事等