・メメントモリの意味について気になる人
・メメントモリの活用法について考えたい人
・話のネタが欲しい人
今回の話題は「よく聞く「メメントモリ」の本当の意味ってなあに?「人名ではない」」という話です。
「メメントモリ」っていったい何のことでしょうか?なんだか、人の名前みたいですよね。でも、これは人の名前ではないんですね。木綿と森でもありません、、、失敬!
そうじゃなくて、まあ一種の格言?みたいなもので、その意味は「自分が(いつか)死ぬことをわすれるな」です。
今回はメメントモリの起源や意味にの詳細について見ていきましょう。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
メメントモリってなんなのよ?
メメントモリとはラテン語でして、「自分が(いつか)死ぬことをわすれるな」とか「死を忘るなかれ」という意味の警句です。
芸術作品のモチーフとして広く使われたりする模様。なお、ラテン語では「memento mori」と表記します。
ふぬ、「memento」は「思い出せ」、「mori」は「死」なので「死を思い出せ!!」てことなのね。でも、moriって、、、、 。うっかりすると、「森さんを思い出せ!!」みたいによめてしまう、、、。
これじゃあ、森さんが何かヤバい事をしでかして、それが教訓として共有されるに至っているみたいじゃないか、、、意味わからんよなあ。ちなみに、英語ではこの「memento」という単語は、現在「記念の品、形見」といった意味合いで使われているそうな。
「mori」は、、、、、分かりません。やっぱり、英語だと「モーリー」か「森」などと人命で使われるのではないでしょうか?
ん?、、とうことは、メメントモリは「モーリーを思い出せ!」みたいにもなりそうだな、、、。ウォーリーを探せみたいだわ。
調子に乗りそうになったらメメントモリといってみよう!
まあ、やや茶番が入りすぎていしまいましたので、気を取り直してまいりましょう。
メメントモリは「自分が(いつか)死ぬことをわすれるな」という意味の警句でした。
警句とかいうからどんな戒めかと思いきや、実は古代ローマ当時の「メメントモリ」の趣旨は「 carpe diem(今を楽しめ)」だったといいます。つまり、これは「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」といった意味の助言だったんだそうです。
- メメントモリの元々の趣旨は「今を楽しめ」といったっ享楽主義的なものであった。
、、、もう、あれだね、退廃のにおいがするわい。享楽主義ですねえ。まあ、そういうノリも嫌いじゃないけど。
よく解釈すれば、「今この瞬間を生きる」というマインドフルネスにかなり近い気もしますよね。ただ、古代ローマでは「将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われた」なんて話もある模様。
なんでも、将軍の後ろに立つ使用人が「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担当していたそうで、使用人は将軍に「メメントモリ」と言う事でそれを思い起こさせていたんだとか。ふむ、使用人も大変ですな。
- 古代ローマでは、将軍が凱旋パレードの際に使用人に自分への戒めのため「メメントモリ!」と言わせる習慣があった。
戦功をあげて帰ってきた将軍がいい気分の時に「おい!調子に乗るな!」みたいに水を差す役割って、、、、。なんか、将軍によっては理不尽に切り捨てられそうだわ。てか、そもそもそんな将軍だったら使用人にそんなこと言わせないか。
まあ、心理学的にいっても、こういったメメントモリのの使い方って賢いですよね。精神状態は「いつも一定」であるのが望ましいため、「変に浮かれたり変に落ち込んだりしない」方がいいわけです。
そのためにはその都度変化する感情の状態に「自分が気付くこと」が重要。調子に乗っているときに、「あ、調子に乗っている」と気付き「メメントモリ!」というってのは中々メタ認知を上手く使って自分を客観視する意味では有益かもしれません。
こういった使い方は、わたし達日本に住まう現代人もやって損はないといえそうです。わたしも「自分、調子に乗ってんなあ」って思ったら、「メメントモリ!」ていうようにしてみますかね。
まあ、誰かに言っているのを聞かれて「ん?どうしたの?」て聞かれたら、「え?森さんを思い出せ!っていったんだよ」、て答えますけども。
メンタルの安定にも役立つメメントモリ
古代ローマでは、メメントモリは「将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われていた」なんて話はあるものの、基本的には「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というかなり享楽的な感じの意味合いで使われていました。
しかしその後、キリスト教世界では天国、地獄、魂の救済が重要視されることによって死が意識の前面に出てきたため、メメントモリはまた違った意味を持つようになってきます。
特にこのような芸術面での適用の流れを決定づけた契機としては、14世紀ヨーロッパでの黒死病(ペスト)の流行があるという。事実、黒死病収束後にはメメントモリをモチーフとした芸術作品がたくさん登場している。メメントモリをモチーフとした芸術作品についてはこちら
メメントモリは、以前の享楽的な意味とは真反対のかなり徳化された意味合いで使われるようになっていったんですね。
キリスト教徒にとって、死への思いは現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであって、来世に思いをはせる誘因となったそうな。
ようするに、「いずれ自分が死んでいくという事実を見つめることで、今目の前にある享楽や名誉といったものに執着しない」という事でしょうね、きっと。
「死」というものを意識すると、「今生きている時間も有限である」という事をかなり強く指揮することになると思います。
そうすると、「よし、時間は限られているんだからもっと有意義に生きるぞ!」なんて前向きになるかもしれません。
もっとも、死を思うという作業は人によってはかなり負荷の大きいものなので、「死を思うことに抵抗がない人だけ」にしましょう。
ちなみに、心理学の研究の中に、「死を思うと自分のボディイメージが改善する」なんてものもあるので、「自分太りすぎかもしれん」と悩んでいて、かつ死を思うことに抵抗がない人は死を思ってみてもいいかもしれないですね。
さらに、死を思うと貯蓄額が増えるって研究もあるそうですな。節約したい人はやってみてもいいかもしれません。
おわりに
この記事は「よく聞く「メメントモリ」の本当の意味ってなあに?「人名ではない」」と題しておおくりしました。
メメントモリとは「自分が(いつか)死ぬことをわすれるな」とか「死を忘るなかれ」といった意味のラテン語です。中々にパンチが効いているというかロックな感じの言葉ですねえ。
下手をすると、「森さんを忘れるな!」とか「モーリーを忘れるな!」みたいにも解釈できそうな感じがしますけども。
死を思うことに抵抗がない人は、死を思ってみて「自分の人生は有限であるからこそ、精一杯に今を有意義に生きよう」と決意を新たにするのもいいでしょう。後節約したい人も、死を思うとお金がたまるかもしれませんね。まあ、いずれにしても、死という概念もつかいようってことですな。
では!
参考記事等