顔のいい悪いと性格には相関関係があるのか結構気になりますよね?
結論を言うと、「顔のいい悪いと性格はあまり関係がない」です。ですが、顔のいい人に愛想のいい人の割合は多いんですよね。
結局、多くの場合、顔がいい人の愛想のよさを見て多くの人は性格がいいと思っているだけなんですね。
今回の記事をよめば「顔のいい人は性格がいい」と言う事がどれだけ嘘っぱちが分かるはずです。
目次
顔がいいのと性格のいい悪いは本質的には関係ない
顔のいい悪いと性格のいい悪いは基本的に関係ありません。確かに、世の中には「イケメン・美人の方が性格がいい」という人がいますが、これは後述しますが基本的には惑わされているだけです。
美人・イケメンの性格がいいという人たちが一般に主張するロジックは、「美人やイケメンは第一印象がいいのであまり他者から否定をされることなく育つので性格が曲がりにくい」というもの。
対して、ブサイク・ブスは否定されることが多いので性格がひん曲がるという話です。しかし、これは突き詰めていくと「人による」としか言えません。
人によっては否定されないから増長して他人をバカにする性格になるかもしれませんし、否定されても他人の痛みが分かるがゆえに優しくなるかもしれません。
正直、性格がどうなるかは分かりません。本人のとらえ方次第としか言いようがないんです。
ただ、美人やイケメンは性格がいいかどうかはともかく「愛想のいい人は多い」、つまり「社交性が高い人が多い傾向にある」ので一見性格はよく見えやすいといえます。
一般に言われる、「イケメン・美人は性格がいい」の性格のよさとは、社交性や愛想に関する評価。
多くの人から邪険にされないので、自己肯定感が上がり自然と人の輪に入っていくことが増えて社交スキルが上がるわけです。
でも、聡明なあなたなら既にお気づきのように「愛想がいい」と「性格がいい」はまるで別物です。いつもにこやかでうわべ上は最低限の親切を行う、、、と言ったのは完全に愛想の範ちゅうに入ります。
では、何をもって「性格がいい」と評すればいいのでしょうか?
わたしは性格の良さは、個人的に「自分よりも下位の者に対して優しいか」や「自分が優位に立てるような場でも節度を持てるか」という視点から測れると思っています。
愛想はよくても自分が優位に立てる場で自分の優位性をかさに着て悦に入って他者を害したり、自分よりも弱い立場の者をことさら見下しぞんざいにあつかうのはおよそ性格がいいとは言えません。
それはまちがいなく「性格の悪い人達」でしょう。愛想がよくてもこうした性格の悪さを発揮する美人やイケメンというのもいるものです。
そして、逆に愛想の悪いブサイクであっても、根が優しく人に尽くす人もいます。しょう顔のいい悪いで性格の良しあしは測れません。
顔がいい人は性格よくて、顔が悪い人は性格が悪いと言われる心理学的理由
「顔がいい人は性格もいい」、「顔が悪い人は性格も悪い」と言われてしまう心理学的な理由は以下の2つです。
- ハロー効果
- 確証バイアス
この2つの心理効果のうち、ハロー効果の影響があってその後に確証バイアスが働くことでイケメン・美人は性格がよくブサイク・ブスは性格が悪い」という主張が展開されやすくなります。
以下順次確認していきましょう。
ハロー効果
ハロー効果とは、「人のある突出した特徴に引きづられ他の特徴に対する評価がゆがめられる現象の事」です。
つまり、イケメン・美人の容姿の良さに引きづられて「性格がいい」とか「有能そう」といった印象が生まれやすくなります。
対して、ブサイク・ブスの場合は、その逆で「性格が悪そう」とか「無能そう」といった悪印象が生じやすくなると言えるのです。
しかし、これは当然ながらあくまでも「印象」の話でしかなく、実際がどうなのかという話とは無関係ですね。まず、容姿の段階でこういった印象の形成が行われる事は確認しておきたいところ。
確証バイアス
次に確証バイアスについてですが、確証バイアスとは「自分の思い込みや願望を強化する情報ばかりに目が行ってそうではない情報は軽視する現象」の事です。
前述したようにハロー効果の影響があるので、イケメンや美人は性格や能力に秀でていると判断されやすくなり、ブサイクやブスはその逆の判断をうけやすくなります。
この前提のもと、顔の悪い人が何か自分を不快にするような行動・言動をとったときは「やっぱりな」と思いやすくなるのです。
仮に、この顔の悪い人が何かの行き違いでたまたま粗相をしてしまっただけであっても、それを受けた側は「顔が悪い=性格悪い」という図式がすでに形成されているので、この図式を正当化する情報ばかりに目が行きやすくなっています。
そして、その後も思い込んでいる本人はその後の人生で数々の「顔が悪い=性格が悪い」という図式を正当化する情報ばかりに目を向け続けていくので余計にこの図式を信じ込んでいくでしょう。
そして逆に、顔がいい人が粗相をした場合は多少の事なら「何かの勘違いかも」とか「自分もよくなかったし」等と前提にある印象のせいで割と好意的に解釈されやすくなります。
実際、第一印象の影響力は非常に大きくて、一旦いい印象が付くとその後もあまり大きなことがなければ第一印象が維持されるのです。同様に、第一印象が悪いとその後に挽回するのが難しくなります。
「顔がいい人は性格がいい」、「顔が悪い奴は性格が悪い」と言う言説は、ハロー効果と確証バイアスがコンボになった結果だったのです。
顔がいいけど、実は性格が悪い人にありがちな事
「顔がいいけど実は性格が悪い人」には、割と似た傾向があると思っています。それは以下の二つ。
容姿によって人に等級をつけている
同じ美形に対して仲間意識がある
以下順次補足です。
容姿によって人に等級をつけている
顔がいい、かつ性格が悪い人は、およそ傲慢で普通以下の容姿の人を下に見ており、人に容姿で等級をつけて明確に扱いに差をつけていたりします。
ひどい人になると、ローランドさん風のいい方をするなら顔によって「人間か、それ以外か」くらいの認識すらしている印象です。
つまり、容姿が一定水準以下の人たちの事を彼らは、「人ではない何か別の動物」くらいに思っていると言う事。容姿がいい人はある種の特権階級という認識なわけです。
多くの人にとって実に鼻持ちならない発想をしています。もしかしたら、容姿の良さがものをいう芸能系や夜職系の人達には、かなり発生しやすい思考かもしれません。
ただ人間だれしも優れた部分があると、それを誇示したくもなるものなので無理もない思考ではありますね。決して肯定はできませんがね。
同じ美形に対して仲間意識がある
先ほどの容姿による等級分けの意識があるような美形たちの中には、一定水準以上の美形たちに美形であると言う事だけをもって敬意や仲間意識を強く持つ人たちがいます。
等級分けの意識がある美形は、仲間には同類と言う事で親切にふるまうが、容姿が一定水準以下の人達は仲間ではないので積極的にかかわりたくないとか親切にする気も起きないと言う話になるのです。
とはいえ、彼らに社交性はあるので表面的には愛想がいいんですよね。そのため、日ごろ少し顔を合わせるだけの人からしたらいい性格をした人で通ってしまいます。
顔が悪くても魅力的な顔にはなれる
顔が悪くても魅力的な印象の顔には、「日々笑顔を多くする事」と「他人に積極的に親切にする事」の2つによってなる事ができます。前述した通り、顔のいい悪いと性格のいい悪いは連動しません。
それなのに、多くの人は「顔がいい人は性格がいい」みたいにいうわけですから、まあ何とも理不尽なもの。
ただ、いわゆる「いい顔」、つまり「良い人間性が表れている顔」になることはできますし、そういった顔になれば理解してくる人は理解してくれるようになります。これは何もきれいごとで言っているわけではありません。
実際に、人に親切にしていると他人から見て魅力的な顔になるという研究が存在しています。
それに観想学という「人の顔や行動からその性格を分析する学問」において、「歳をとるほどに顔にはその人の性格がよくあらわれるようになる」と言われていたりするんです。
男性の場合、恋愛に関しては別に性格の良さが特にモテにつながるわけではないのでいい顔でもあまり役立ちませんが、人間関係全体で見た時はいい顔でいた方が単純に顔がいい場合よりも生きやすくなると思います。
もっとも、いい顔で他人に対して親切な人は恋愛ではいい思いはできずとも、結婚相手としてはかなり支持を集めるはずです。
顔がいい+性格もいいはレア!
顔のいい悪いと性格のいい悪いは連動しません。顔はいいけど性格が悪い人や顔が悪いけど性格がいい人はいるものです。多くの人の思ういい性格は愛想がいいだけです。顔も性格もいい人はかなりレアな存在でしょう。
にもかかわらず、顔の良しあしと性格の良しあしが混同されるのは、ハロー効果と確証バイアスのせいと言えます。
ただ、顔がよくなくても笑顔を絶やさず他人に積極的に親切にしたいると、よい人間性が表れた顔にはなるのでそこを目指せば顔の良しあしに関わらず人生は大分生きやすくなりますね。笑顔は絶やさずにいたいものです。
では!