生れてこなければよかったを生まれてきてよかったに変えるにはどうするか?

「人生なんてめんどくさい事ばかりだ。なんでこんなつらい思いまでしてい生きなきゃならんのか。別に辛い事があったわけでもないが、生れてこない方が良かったような気がする。なんか生きるのってだるくね?」

今はやりの反出生主義ってやつかねえ。

ま、苦痛にばかり着目するとそうなるかもしれん。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「生まれてこなければよかったを生まれてきてよかったに変えるにはどうするか?」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

こんな人が読むと役に立つよ

・生まれてこなければよかったと思っている人
・何とかして反出生主義を言い負かしてやりたいと思っている人

反出生主義をあつかった投稿としてはこれが3つ目になります。

正直、反出生主義はコロナ蔓延のせいなのかは分かりませんが、今かなり注目されている思想です。

現状、この思想に定まった定義がある訳ではありませんが、簡単に言うと「人間は生れてこない方が良かった」というものになります。

かなりインパクトが強い考え方ですよね。

この考え方に立脚すると、「子供を産むべきではない。人間は絶滅するべきである」なんて話が展開されてきたりします。

ですので、この思想に生理的嫌悪感を覚える人もいて当然でしょう。

「人類なんていない方がよくね?」て言っているわけですもんね。

「この考え方がメジャーになる事はない」とわたしは思っているのですが、だからと言ってこういった考えが注目されている以上何か解決策になりそうなことを言いたい衝動に駆られております。

以前の2つの記事で色々と対策的な事は自分なりに提案してみたつもりですが、今一度改めてまるまる一つの記事を使って考えてみたいと思ったんですね。

まあ、参考になるかはわからないですが、「生まれてこない方が良かった」と思っている人は何か少しでも役に立ちそうなものがあるなら持って帰って使ってみてくださいな。

そして、反「反出生主義」の人達には反出生主義への生理的嫌悪感があるのはわかりますが、反出生主義者を論破しようとはしないことをすすめたいです。

というか、そもそもこういった類の議題で相手を論破すること自体に何の益もないと思いますので、「へー、君はそうなのか」と静観した方がいいでしょう。

反論するとかえって相手の態度は硬化するだけなんです。

事実、相手を説得する時にやってはいけない方法が論破ですからね。

何も益がありません。

なお、以前の投稿にて反出走主義について色々書いたので、反出生主義自体に関してはそちらを参照くださいませませ。

ただ、より一層反出生主義について理解を深めたい人は哲学者の森岡正博さんの著書を読むと一段と反出生主義について理解が深まるでしょう。

では、ゆるりとおおくりします。

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反出生主義を論破することに意味はない

まずは最初に言っておきたいことですが、反出生主義に対して嫌悪感を持って論破しようとしても無益です。

というかそもそも、論破という行為自体にあまり生産的な意味がないと思います。

論破とは基本的に「議論において相手の説を言い負かす事」です。

ただ、「論破する目的」を考えてほしいんです。

相手の説を否定し打ち負かす必要性って何なのでしょうか?

これがディベート大会で優勝する事とかなら話はまた別ですけども、少なくとも現実社会で何らかの議論がなされる時そこには何かしらの達すべき目的があります。

その議論の参加者達はおのおのその目的達成のために意見を出し合って検討を重ねて、よりよい案を作くろうとすることがほとんどだと思います。

もしそうだとしたら、相手の説を言い負かすだけに終始する論破に何か生産的な意味があるのかというと疑問です。

なのでそもそも相手の説をことさら論破することに意味はあまりないと思うんですよね。

そしておそらく反出生主義者を論破したい人は、以下のような動機から論破したいのかもしれません。

  • そんな間違った考えが市民権を得たら困る
  • 自分の主義信条に反するから
  • まるで自分や自分の近しい人達の人生を否定されている気がするから

まあ論破したい動機にはいろいろなものがあると思います。

ただ論破の目的は結局のところ、本質的には「何とかして自分が正しい事を相手に認めさせてスッキリしたい」といった事ではないでしょうか?

これは言ってみれば「相手の考え方を変えようとしている事」だといえましょう。

もし、そうだとしたら、完全に方法を間違っていると思います。

相手の考えを否定し自分が正しいと主張することは考えを押し付けることに相当しますが、これでは反発心を生むだけで説得どころかかえって相手が自説に固執するようになる可能性があります。

そして、そもそも相手の考え方を変えさせることは困難です。

基本的には無理だと思ったほうがいいでしょう。

しかし、適切な方法を使えば少しは可能性があるかもしれません。

説得の方法については以下を見てみてくださいな。

ま、とりあえず論破はよしておこうってことですね。

反出生主義がメジャーになることはないだろうが放置は危険かもしれん

以前の投稿でも述べましたが、おそらく反出生主義がメジャーになって広く支持を得ることは今のところないと思います。

人間の遺伝子はそもそも「生きようとする」方向でプログラムされているといえますのでね。

とはいえ、このような「生まれてこない方がいいのだ」といった考え方が脚光を浴びる状況というのはあまり好ましくないと個人的に思います。

こういった思想が広く耳目を集めるようになっているという事は、それほど生きづらさを感じている人が多くなってきていることの証だと思うからです。

なので反出生主義が注目されているなら、「生きづらさを解消するために出来る事には何があるか?」を考えていく必要があるよねって思います。

とはいえ「社会が~だから~」等と言っても個人の力ではどうしようもないので、当ブログ程度ができる事と言えば基本的に「生きづらさを解消できるような考え方を提示する」くらいのものかと思いますな。

とにかく何かしたほうがいい気はしているので、一応意味があるかないかは別として提示はしてみたいと思うところです。

「生れてこなければ」を「生まれてきてよかった」にするために個人ができる事

さて、では個人的にではありますが、生きにくさを解消するために心理面と肉体面に対してできそうなアプローチをいくつか提示してみたいと思います。

正直いってかなり無謀な感じもありますが、何か参考になりそうなものがあったら無理のない範囲で取り入れてみてくださいな。

  • 運動を取り入れた規則正しい生活をする
  • ストレス管理や野菜中心の食生活を心がける
  • 自分の人生において大事にしたいものに気づく
  • 心の安全基地を確保する

以下順次少し補足です。

・運動を取り入れた規則正しい生活をする

「健全な魂は健全な肉体に宿る」という言葉があるように、健康的な精神状態の基礎として健康な肉体を持つ事が大事だと思います。

そもそも人は本能的に生きようとするものですが、その本能が適切に働く状態を作り出してあげない事にはどうしようもないので「まずは体から」と言っているわけですな。

健康な肉体を作るためには、もはや言い古されている感はありますが、「規則正しい生活と運動」がすごく大事です。

もちろん十分な睡眠時間をとることが大前提ですよ。

睡眠が足りていないと認知能力が低下したり対人関係が悪化するなんて事もあるといいますから。

運動に関しては別にそれほど特別なことが必要なわけではありません。

近所に公園のような緑化された区域があれば、そこで散歩したりするとかそのようなもので十分です。

生活の中に運動する時間帯を設けたりして、習慣化するといいでしょう。

・ストレス管理や野菜中心の食生活を心がける

肉体的な健康をたもつのと並行して、精神面のケアも怠らないようにしたいものです。

例えば、フルーツや野菜の摂取量が増えると精神状態が改善するといわれています。

これは十分に科学的な裏付けがある話です。

詳しくは以下。

ですから、野菜があまり日ごろから十分にとれていない自覚のある人は、是非とも積極的に野菜を取り入れるようにしてみてくださいな。

もし「野菜が苦手で食べれん!」というのであれば、野菜スムージーを作って飲むのもいいでしょう。

ちなみにわたしも野菜嫌いではあるのですが、メンタル面での影響を考えて、野菜はコンソメスープにいれて食べています。

わたしはこの方法だと相当量食べても苦になりません。

非常に美味しいです。

また、自分がストレスを感じやすい状況を理解し、それぞれの状況における対処方法をあらかじめ考えておくというのも重要になります。

ストレス管理はしっかりとしていきましょう。

ただ、一概に「これをやれば絶対精神が安定するから大丈夫」等といえるよう方法はなく、「人によって合う合わないがある」と言っていいと思います。

なので、実際に自分でやってみて自分にあう対処法をリスト化しておくといいでしょう。

具体的なストレスへの対処法に関しては以下を参考にしてみてくださいな。

・自分の人生において大事にしたいものに気づく

哲学者の森岡正博さんによると、反出生主義蔓延の一因に宗教の力が弱まってしまった事があるそうです。

宗教の力が強かった時代は人の生きる意味は言ってみれば宗教が与えてくれたものですが、宗教の力が弱まり科学の力の方が優勢になってからは生きる意味は各自が自分の理性で見つけなくてはいけなくなりました。

こうなると人生のつらい時期における逆境等にあって、自分の生きる活力を喪失しやすくなる傾向はあるでしょう。

理詰めで考えていくと、「なんで自分はこんな苦労をする必要があるんだ?」とか「なぜこんな理不尽を被る世界に生まれてきてしまったんだ?」なんて時には自分が存在することが何とも恨めしくなったりもするでしょう。

そしてあげく、「生まれてこなければそもそもこんな苦しみを感じる必要はなかったのではないか?」なんて気持ちにもなると思いますね。

人間、いつでも人生を肯定できるわけではないですからね。

で、ここで宗教があるなら前世や何やらといった独自の論理によって、無条件に生が肯定されたり自死が否定されたりといった事が起こるでしょう。

しかし理性だけを頼りにして、「生れたせいで欲しくもない苦しみを感じることを強いられている」との思いを乗り越え「それでも生きなくては」と納得するのはそう容易ではないと思います。

極論ですけども、「そもそも生まれてこなければ苦を感じる瞬間は一瞬とも無かったろう」とか「この世に子供を産むことは子供に苦しみを負わせる大罪である」なんて話が出てくることにもなってくるという事ですな。

こうなってくるとニーチェさんではないですが、「人生に意思の力を発揮して果敢に立ち向かっていく」といった人生に対する主体的な姿勢がないと人生に意味を見出せなくなっていく可能性はあるでしょう。

宗教不在の世界では、「自分の意思」が頼りだという事になります。

という事で現代においては、自分で自分の生きる意味を設定する以外に人生を肯定する手段は基本的にはないと思うんですね。

で、そこで登場するのが再三当ブログにおいて言及しているアクセプタントコミットメントセラピー(以下ACT)です。

ACTの手法によって、自分が人生において大事にしたいものをある程度はっきりさせた上でそれに沿って生きていくようにするといいのではないかという事なんですね。

わたしが個人的に反出生主義の人が生きることを肯定するためには、人生において「自分が大事にしたいもの」を知ってそれに沿って生きることが一つの有力な解決策の一つなのではないかって思います。

ACTや自分が大事にしたいものの見つけたについて詳しくは以下参照。

・心の安全基地を確保する

心の安全基地とは、1982年にアメリカの心理学者であるメアリー=エインスワースさんによって提唱された「人間の愛着行動」に関する概念です。

「心の安全基地」は子供は親との信頼関係により育まれる存在であるとされ、子供は「外の世界を探索し戻ってきたら喜んで迎えられる」と確信する事で安全基地へ戻ってこられるといいます。

ただ現在では子供に限らず大人に対しても適用されるようになっている模様。

要は、「ちゃんと自分を受け入れてくれると確信できるような信頼に基づく人間関係を確保しましょう」ってことですね

実際、人間関係は人生の幸福度を大いに左右する要素であるといわれているので、良好な人間関係のネットワークを構築すべく「会社だけ」とか「学校だけ」等のように特定のコミュニティだけに属するのではなく色んなコミュニティに属して人間関係を広げてみるといいでしょう。

そういった様々な交流の中で自分と気が合う人との出会いがあったりすると思います。

もし、そういった人たちに出会えらならその縁を大事に育てていったらいいと思うんです。

反出生主義的な考え方も様々な人達との交流や安全基地の確保などによって、変わっていくかもしれません。

少なくとも思考の幅を狭めるような環境から脱して、みるのも一つの解決策となりうると思います。

「反出生」を許容することでより生が輝く世界が来るかもしれない

上述したように、反出生主義者に対して整理て聞けの感を示す人は多いでしょう。

なんせ本能にあらがう思想と言えるため、何となく拒否感を覚えてしまうのも無理はないと思うんです。

ただ、こういった考え方を「絶対に許さない!そんな思想を持っているヤカラはクソ野郎だ!」等とことさら攻撃するのはあまりよろしくない気がします。

同様に、反出生主義の人が「子供を産むやつらは自分のエゴで生れてくる子に苦しみを強いている大罪人どもだ!」等というのもよくないです。

個人的には、お互いに「あー、そういう考え方なのね。自分とは違うんだな」とただただ認識すればいいだけだと思います。

また、そう言った空気感が社会にあればこそ反出生主義の人達が、「生まれてきてよかった」みたいに生を肯定できることもありうると思いますね。

ここでやや余談ですが、ドイツの哲学者であるヘーゲルさんにより定式化された弁証法によると、一つの判断(正=定立)とこれに矛盾する他の判断(反=反定立)とが統合される過程をへる事によりいちだん高度な判断(合=総合)になるといいます。

ちなみに、この過程を止揚(しよう)と言ったりしますね。

はい、要するに「正を肯定する立場」と「正を否定する立場」の両方があることを容認するからこそ、その両者のいいところをとったよりよい思想が生まれてくると思うんですな。

なので、お互いに押し付けあったり論破しようと意気込んで対峙するのではなく「そうなんだね」とただただ自分と違う考えがあることを認めればいいだけなんだと思います。

正直、わたしもこれが難しいのはわかるつもりです。

わたしはどうにもいわゆるスピリチュアルの様な非科学的なものに生理的嫌悪感を持つたちですので、中々彼らの論理を理解してもあまり有益だとは思えません。

しかしスピリチュアルであれ何であれ「誰かの幸福に資するのであれば」、それもまあいいのではないかとも思わんではないです。

思想的に好きになれない感はありますが、それでも「スピリチュアルを信じている人間は頭がおかしい!!まともな人間ではない!」なんて事は言うべきではないし言えないと思うところはかなりあります。

まあ、スピリチュアルを出しに詐欺まがいの悪徳商法を展開している連中は別として、、、。

個人的に好きにはなれないけど、「そうなのね」と認める努力は個人的にしているつもりです。

まだまだ足らないかもしれませんけども。

とにかく、「生まれてきてよかった」と思う幸せそうな人が増えてくれた方がうれしいのは間違いないので、反出生主義の人も幸せになってくれたらなって思います。

あ、、、でも、反出生主義だから幸せでないとも限らないですね。

その場合は、別に問題ないので今回の記事の内容は気にせずお願いします。

もっとも、ストレスケアや肉体的健康はキチンとたもってほしいですけど。

あと変に自分と違う思想の人を攻撃はしないようにしてほしいかなあ、ってことはお願いしたいかもしれませぬ。

ま、「そんなん個人の勝手だ!」と言われたらどうしようもないですけどねえ。

おわりに

この記事は「生れてこなければよかったを生まれてきてよかったに変えるにはどうするか?」と題しておおくりしました。

反出生主義の人が別に無理に正を肯定する必要はないですが、色々な経験を経るうちに正を肯定できるようになるかもしれません。

あくまでも「かも」ですけどもそんなこともあるでしょう。

「生れてこなければよかった」という人が一人でも「生まれてきてよかった」と生を肯定できるようになるといいですなあ、って思いますね。りかいしたいとはお

ま、お互いに攻撃しあうのはやめときましょうぞ。

それだけはいいたいかな。

では!

参考

https://mainichi.jp/articles/20210102/k00/00m/040/008000c

https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A3%E5%8F%8D%E5%90%88-546148

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