いらない人間はいないとも言えるしいるとも言える。結局、視点次第だね。
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「よく世の中ではいらない人間はいないなんていうけどさ、絶対いるよな。いわゆる快楽殺人鬼みたいなやつとか、モラルが無くてやりたい放題なやつとか必要なくね?そういえば障害者は生きている価値が無いとかいう犯人が沢山の障害者を殺害する事件があったよなあ、、、、なんかいらないとかいるとかよく分かんなくなってきたぞ、、、てか、わたしだってそんな頭良くないしいらなくね?、、、、」

んー、生きている価値か、、、、難題だね。

オニギリス!

脱マンネリストのオニギリです!

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「いらない人間はいないとも言える しいる とも言える」という話です。

正直、かなり重い話題かと思うのです。

いらない人間とかいる人間とかってのは、正直な話当り前ですが、「どの観点からみるか」にかかっています。

逆説的にいえば、「自分自身の価値を自分が認めることさえできればいい」ともいえます。

誰の評価とも関係なしに自分の価値を信じられればいいという事です。

では、ゆるりとおおくりします。

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1、いるかいらないかは「どこから見るか」で決まる

何かがいるかいらないかを判断する時は、必ず何らかの「目的がある」はずです。

その目的の設定次第で何が必要か決まってきます。

もし、目的が「イケメンや美人と付き合う事」であれば、いわゆる「見た目の残念な人」に用はないし、目的が「愚痴を聞いてすっきりしたい」のであれば「傾聴力の高い聞き手」が必要になりますね。

はい、目的があるからこそ「必要性がうまれる」んですよ。

なので、よく「わたしは社会に入らない人間なんだ、、、」なんて悩んでいる人には、まだ序盤だけど一言言いたい、、、、。

「きっと、あなたはいるべき場所を間違えている!」

とね。

人間だれしも長所もあれば短所もありますんで、戦う場所を間違わなければ「いらなくなる」事はないって話。

営業が上手くて経理がポンコツな人に経理やらせてもそりゃ「いらない人」になりますし、逆に経理が得意で営業がからっきしな人に営業させてもいつになってもうだつが上がらないでしょう。

そう、世界は「適材適所」でまわっているのですよ。

まあ、確かに中には「長所が特殊すぎて活かし方が難しい人」なんてのもいます。

でも、「ないわけではない」ので後は頭の使い方です。

もし、わかんないなら人にきくといいですよ、自分の事は他人に聞くとよくわかるもんです。

2、生産性だけが人間の価値じゃない

近代合理主義とか資本主義等々の影響下「生産性」というパワーワードがそこかしこで偉そうにふんぞり返っていますね。

かくいうわたしも以前は

「人間能力こそ全て。無能なんてみんな死んでしまった方がいい社会になる。もし、自分が無能で改善の余地もないなら存在する価値はないから潔く死んでやる。無能な自分なんて不愉快で活かしておけない!」

というバカとかアホなんていうありふれた言葉では形容しきれないほどのクソでした、、、。

それに発言に実力が伴っていなかったんですね、、本当、哀れな過去のバカな自分、、、、。

あと、組織って実際に有能というか上手く機能している人員なんて全体の3割くらいという話があります。

残り7割は怠けている状態です。

この比率は例え上記のような怠け組7割を全て追い出しても変わりません。

上記の3割の内の7割が怠け出します。

なので、「有能な人だけの組織とか社会」というのは実現不可能だってこと。

いいですよ、生産性なんてなくても。

どうせ、あってもなくても全体のバランスの上に決まっている事ですって。

生産性なんてあってもなくても「生きていていい」に決まっていますよ。

3「愛されない人」はいらない人か?

当り前のことですが、この社会が人間を基準に成り立っている以上、人間関係を構築したり発展させられるものが優位に立てます。

そして、人間関係を語る上でコミュニケーション能力と同じくらいに重要と言えるのが「愛嬌」です。

愛嬌とは端的に言うなら「愛される力」といっていいでしょう。

あの百姓から成りあがって天下をとった豊臣秀吉さんにはかなり愛嬌を持っていたと思われる逸話がありますね。

もっとも、彼は愛嬌に加えて抜群のコミュニケーション能力を持っていたのは間違いないでしょう。

愛嬌があるというのはそれだけで生存に有利です。

「なんか憎めないヤツ」とか「なんだかんだで困っていると助けたくなるやつ」という人に心当たりあったりしません?

いつも陽気だったり面白かったり、一緒にいて気分を良くしてくれる人もそうですねえ。

「利益」というと通常は金銭的なものに意識が向きがちではありますが、「ポジティブ感情」をもらうのも「利益」であると言えます。

愛嬌がある人はそこに存在してくれているだけで「みんなにポジティブい感情をくれる」存在なんです。

愛嬌があるともちろん相手の評価次第な面もありますが、生きていくのがずっと楽になります。

多くの人からの助けを得やすくなるのは間違いないですから。

一方で、真面目すぎて冗談がまるでつうじないとかいつも陰気くさいなんて話、プライドが高くて偉そうなんて話になると、一緒にいて楽しくないので人はどんどん離れていきますね。

何か別に仕事とかにおける専門的なスキルで他を圧倒していればそれでもいいでしょうが、そうでないなら結構な確率で「いらない人」とみなされるかもしれません。

、、、なので、個人的に男女問わず「いらない人といる人」を決定する因子として「愛嬌の有無」というものがあると思っています。

愛嬌についてくわしくはこちら。

4、いるかいらないかなんて「いらない」

はい、ここまでいるかいらないかの判断は目的設定によるという方向性できましたが、愛嬌もいるいらないの判断に影響をあたえるといえそうです。

ただですね、愛嬌が無くてもやはり「自分の長所を把握して適切な場所で戦う」という事に変わりはないと言っていいと思います。

確かに時代はAIの発達もあってコミュニケーション能力がどうとか人間にしかできない仕事しか残んないとか、、、まあ、いろんなことがいわれるくらいに激動しています。

そんな変化の激しい時代だからこそ一体何が目的とされて、何が必要とされるのか分からなくなるのも同感です。

 でもですね、もう未来のことなんて正確になんて誰にもわからんのですよ。

わからんことを考えようったって無理なんですよ、わからないんだから。

だから、これからの時代の流れや未来はともかく「今やれること」を全力でやったらいいと思うんですね。

目の前の一瞬を大事にするから未来が開けてくるって感じ?

まあ、気負わずいきましょう。

どうせ、いつの時代も居場所は探せばあるもんですよ。

おわりに

この記事では「いらない人間はいないとも言えるとも言える」と述べました。

何かが「いるとかいらないとかいう必要があるのは目的が設定されているから」です。

なので、達すべき目的がかわれば「いるものはかわる」のです。

あなたが自分を「いらない人間」だと思っているのなら、それは「あなたのいる場所がいるべき場所ではない」んですね、きっと。

なので、自分の性格を分析したり人に聞いたりするとか人生で欲しいものをある程度はっきりさせるとかするのもいいと思います。

以下の記事は参考です。

では!

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