「私なんて誰にも必要とされていないんだ。いつも、そうだ。みんな私を避けるんだ。両親だってそうだ。私にこの社会での居場所なんてないんだ!」
んー、本当にそうなのかな?
もう少し冷静になってみよ?
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「あなたに名前がある意味」です。
相当にものものしいタイトルになってしまいましたね。
サーセン。
ただですね、私はいいたいんですよ、あなたに。
あなたに居場所が無いって言うけど、本当にそうなんでしょうか?
もう少し、視野を広く持つといいと思うんですね。
そして、あなたはもっと自分の価値を認めた方がいいと思うんですよ、お節介ですけどね。
この記事は自分に居場所が無いと思っているあなたに、そんなに悲観することないよって伝えたい、
それだけの内容です。
てなわけで、ゆるりとおおくりします。
目次
1、名前とは人格だ
さて、あなたは気になったことありませんか?
名前の「前」の意味を、、、。
なんで、「名」だけではなく後ろに「前」がついているんでしょうか?
実はこの「前」という字は私達が日常でつかっている「前」とは全く違う意味でつかわれているんです。
名前をウィキペディアさんで調べてみると、、、
「名」は、「夕」(夕暮れ)+「口」(呼ぶ)からとする説(藤堂明保)と、「口」(神器)に「夕」(肉)を供える儀式からとする説(白川静)がある。日本語「“ナマエ”」の「“ナ”」は“ネ”(「音」)に由来するともされるがはっきりしない。
「前」は、もともと「舟」と「止」を組み合わせた「歬」という字があり「進む前方」を意味し、これに「刀」を添えて「前」となり「先を切り揃える」「整える」の意味もあったが、後に「歬」の字が失われてしまったため「前」は前方の意味だけが残り、「整える」の意の字はさらに「刀」を添えた「剪」に代わった。しかし「一人前」「腕前」などの語に「整った」「完成した」の意味が残っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%89%8D
「名前」は「整えられた名」「完全な名」「正式な名」という意味になる。
はい、このような長い説明が出てきます。
名前の「前」は整ったとか完成したという意味であるとありますね。
そのために、「名前」は「整えられた名」とか「完全な名」という意味になるとのことです。
完全な名、、、
なんだか、不思議な響きです。
何が完全なのか?
この表現、色々と私達の想像力を刺激します。
私なりの解釈になってしまいますが、「完全」とはあなたの人格を余すことなく「完全に」言い表すという意味であるとは言えないでしょうか?
あなたを知らない人やよく知らない人は、あなたの名からあなたの人がらを想像します。
「こんな人なんじゃないか」なんてあなたを想像するでしょう。
その時、あなたの名前はあなたについて想像する他人にとって「あなたそのもの」となっているのです。
あなたのことを既に知っている人が、あなたの名前を呼ぶ時、あなたのことを想像する時、やはり「あなたの名前はあなたそのものになっている」とは言えないでしょうか。
言い方がややこしくてすいません。
まとめると、他人にとって「あなたの名前」は「あなたの人格」を表すものとして解釈できるという事です。
あなたの名前とは、他者にとって「あなたの人格」です。
名前とは「あなたそのもの」だという事です。
だから、名前を適当に付けるなんて言語道断というわけです。
2、あなたに名前があるのは承認の証
人間は社会的動物、原則として人は独りで生きていく様にはできていません。
そのため、生まれてきた赤さんには「名前」を「誰かから与えられる」という儀式が必要になるんですね。
その誰かは普通は両親であることがほとんどです。
赤さんは誰かから名を与えられることで、社会にその存在を認知されるんです。
社会の一員として迎えられるのですね。
社会の一員として迎え入れられるという点では、赤さんがどんな名前をもらおうと変わりません。
赤さんが「名前をもらう」ということ、それ自体に非常に重大な意味があるんです。
かなり昔に「悪魔」と名付けられた子供がいると大騒ぎになりましたね。
もっと、昔の事例ではドイツ人医師シーボルトの娘であった楠本イネがわが子に「タダ」となずけて、後に伊予国宇和島藩8代藩主伊達宗城に改名を促されたという事がありました。
たしかに、名前自体はお世辞にも愛情深さを感じさせるものではありません。
しかし、赤さんにとって非常に重要な「名を与えられる」という儀式は済ませています。
名を得た赤さんは「その時点で社会的存在」なんです。
もう、二人と存在しない唯一無二の存在なんですね。
あなたも同じ、そう同じなんです。
二人といない唯一の存在にほかなりません。
名を持つあなたはすでに社会的存在です。
少なくとも、あなたはこの社会にとって認知され、受け入れられた存在なんですよ。
あなたは社会に拒絶されていない。
あとは、あなたにあった場所を見つけるだけなんです。
少なくとも存在している事に疑問はいりません。
いらないんですよ、疑問なんて。
3、誰からも好かれるなんて原理的に不可能
自分の居場所が無いと思っているあなたは、知らないうちに社会の全ての人があなたを憎悪し、排除しようとしていると思っていませんかね?
いいますね、それ幻想です、たちの悪い根拠なき思い込みです。
心理学ではそんな考えを「イラショナルビリーフ」、つまり非合理的な思考と言ったりします。
あなたはいつ世界の全ての人にアンケートを取りましたか?
アンケートをとったというなら、そのアンケートの取り方は?
内容は適切でしたか?
、、、
無理なんですよ。
あなたが世界全てから嫌われていることを証明するなんてね。
世界からうとまれることは不可能です。
あきらめてください。
心理学に「パレートの法則」なるものがあります。
この法則は「2対6対2の法則」とも言われます。
どんな集団でも、あなたのことをその集団の構成員がどう思うかは以下の比率になるという法則です。
好き:普通:嫌い=2:6:2
どうです、嫌いなんて2割しか居ないんですよ?
それどころか、好きになってくれる人が2割もいるじゃないっすか!
人口が1億2千万なら2千4百万人はあなたを好きになる、、、、。
悲観することないんです。
あなたには無数の仲間がいる!
4、好かれる努力は無駄な努力
はじめにいますね、好かれようとすることは無駄です!
あなたを好きになる人はあなたのどんなところが好きで仲良くなってくれていますか?
あなたが好かれる時はいつも大体同じ理由で好かれるものです。
しかし、嫌われる時というのはその時々まったくちがう理由できらわれるので、その都度指摘されるたびに直していたのではきりがありません。
それにさきほど言ったパレートの法則にしたがえば、あなたがどんなに努力をしても2:6:2の比率はかわりません。
あなたをきらっていた誰かがあなたを好きになったら、あなたを普通か好きと思っていた誰かがあなたをきらいになるだけでしょう。
無駄な抵抗はしなくていいのです。
あなたを好きになってくれる人がいる事実を素直に認め、彼ら彼女らの好意を素直に受け取り、彼ら彼女らを大事にしていきましょう。
おわりに
この記事では「名前があることの意味」と「気づいていないだけでい場所なんていくらでもある」ということについて述べました。
あなたが誰からも好かれることは不可能です。
しかし、同時にあなたが誰からも嫌われることも不可能です。
かならず、あなたがうまくやれる人はいるものですし、あなたの居場所なんてものもあるもんです。
だから、今が上手くいかないからって全てが上手くいかないなんて考えなくていいんですよ。
心理学でも、柔軟に考えられる人の方がストレスに強いとされています。
どうか、広い視野をもってみてくださいな。
では!