たまに、倫理観がバグっている人っていますよね?
具体的にいうと、例えば「人を殺す事がいけないとは思わない」とか「法で罰せられるから犯罪しないだけ。得られるメリットの方が大きければ罰せられてもやる」という人たちです。
個人的にこういった人たちの倫理観がバグっている人の心理の奥底にある根源的な理由は以下の通り。
今回はこういった人たちの精神の根源に今回は迫ってみたいと思います。本記事を読めば何をすれば倫理が尊重される社会にできるかのヒントが見つかるかと思う次第。
目次
倫理観バグっている人の心理の根底にあるものは、生の否定と生の無価値感
いきなり結論ですが、倫理観の根底にあるものの正体は「生自体の無条件の肯定」です。
生自体を無条件に肯定する感覚があるからこそ、倫理や道徳をといったものを重要だと感じやすいと考えられます。
例えば、倫理や道徳に基づく主張の代表的なものとしては以下のようなものがありますが、そのいずれも「生の無条件の肯定」という点で通底しているのです。
- 他人を苦しめてはいけない
- 人を殺してはいけない
- 他人の意思を尊重する
- 差別をしてはいけない
- 他人を思いやるべき
上記のような例は協調性や共感性からも説明が付きはしますが、もっともっと突き詰めていくと最終的には「明確な理由などない状態」に行き着きます。
そのときに、生を肯定する感覚がないと「理由はない、、、でも、これは大事だ!」とはならないのです。例えば、倫理の命題としてよく持ち出される「人を殺してはいけない」を例に少しだけ考えてみましょう。
この命題にとことん「なぜ」をぶつけてみると以下のような展開になるかもしれません。
さて、随分と倫理観が喪失したやり取りが展開されてますが、この最後の「殺すメリットが殺されるデメリットを上回る時は殺してもいいのではないか?」という意見にどう反論したらいいでしょうか?
ここにさらに「別に自分が死ぬかどうかなんて構わない。しいて言うなら拷問されて死ぬのはごめんなので、いつでも自死できるよう準備はしている」とかいう条件が加わったらもうお手上げだと思うんですよね。
「自分が死ぬからなんだそんなもの。私はメリットが多いなら人くらい殺す」みたいに言われたら、どうしようもありません。
法律で考えるなら、「法を守るのは罰せられて被るデメリットが大きいからだ。法を破って得られるメリットの方がはるかに大きいなら法を破る」と言っているようなものです。
こんな頭のネジがぶっ飛んだヤツに倫理的な意味での善悪なんてどう説明しようと理解されないでしょう。「で?それ守って何の得があんの?」と返されるのがオチだと思います。
「人を殺してはいけない」には本当は明確な理由なんてないんです。「ダメだからダメ」なのです。では、なぜ「ダメだからダメ」と思えるかという話ですが、それは「生自体に価値がある」と考えているからです。
生自体を肯定できるなら「命(人)を害する行為は悪い」と考えるようになりやすいですよね?
倫理観のバグっている人にありがちな思考
倫理観がバグっている人は、基本的に「自分の利益をいかに最大化するか」と言う事しか眼中にありません。
ただ、中には変な方向に正義を感じてしまったっけっかおかしな倫理観を形成している人もいるでしょう。
例えば、倫理観がバグッている人の思考としては具体的に以下のようなものがあると思います。
- 不倫(浮気)はパートナーにモテる奴と付き合っているのだという自信を与えるために行っているのだ
- 嘘をつくのがいけない意味が分からない
- 自分さえよければいい
- 損より得がはるかに多いなら人を殺すことも全く辞さない
- 邪魔な人間に対してはまず真っ先に殺害することを考える
- 目的を達するために手段を選ぶという感覚がない
- 弱者や生きづらい人間は、それ以上生きていてもつらいだけなので殺してあげるのが最大限の思いやりである
- この世界にも生きる事にも意味はない。だから尊重すべきものなど何もない
- 人を自殺に追い込んだ件数が自分の強さの証明であると思い他者を自殺に追いやった件数を誇りに思っている
随分むなくそなものが並んでいますが、倫理観がバグっている人の思考の例としては適当だと思います。
どの思考も「生命を著しく軽視している」という点では通底していますね。
倫理観バグっている(バグりやすい)人の種類
では、ここで倫理観がバグっている(バグりやすい)人の種類について大雑把に見ておきたいと思います。
サイコパス
ソシオパス
自己愛性人格障害者
過度に論理的に物事を見たがり感情を蔑視する人
追い込まれて自暴自棄になっている人
自己愛性人格障害とは、一般的な言い方をすれば「非常に加害性のあるナルシスト」なわけですが、なぜこれが本記事でいう倫理観がバグっている人に該当するのかわからない人もいるかもしれません。
というのも、一般にナルシストというのは「自分大好き人間」ですから。ただ、ここで重要な事を忘れてはいけません。以前の記事で言及したように「ナルシストの自信はハリボテであり自尊心が高いのとは別物」なんです。
ナルシストたちは、自分の長所だけに焦点を合わせているので自分の短所は大嫌い。彼らは自分の短所を直視しないよう必死です。
本質的な意味では彼らは「自分が好きではないし何なら自分の命ですら大事だと思っていない」と言えます。
条件付きの愛情は、その条件が失われたときにはその愛情が深ければ深いほど尋常ではない反動がやってくるもの。ナルシストたちが自分の短所に直に対峙したら場合によっては自死を選ぶ可能性すらあります。
個人的に文豪やアーティストの中に自死を選んだ人が多いのも、このナルシズムと関係があると思っている次第。
要は、失われる才能や美貌、自分の価値と位置付けるもの、それらの限界に直面したりそれらが失われていく事を直視できずに死を選ぶという感じですね。
なので、彼らもまた生命を軽視する者のうちの一種と言えるでしょう。
そして、過度に論理性を求める人も論理を重んじて感情を蔑視する人も論理性に偏重しすぎて生命を軽視する方向へ行ってしまう事があります。
倫理観は後天的にバグる可能性もある
人は、自分の生命が脅かされ保証されないときには、実に凶暴になり倫理の通じない化け物と化します。現代でいえば、無敵の人やソシオパスがそのいい例です。
善悪も結局は、「快不快」でしかありません。善は「いい事だ」と肯定的な気持ちになるので快、悪は「よくない!」と怒りや悲しい気持ちになるので不快です。
快不快という感情はなぜ生じるかと言えば突き詰めていけば、「その個体が生き延びるために必要であるから」と言う事に行き着きます。
そして、倫理や道徳といったものがなぜ重要視されるかと言えば、それはひとえに社会の秩序を維持するため。
つまり「社会の人々の命が保証され社会の構成員たる人々が快適に過ごせるために倫理や道徳が存在している」と言えます。
ただ、もし「社会は自分を排除しようとしている!社会は自分を殺そうとしている!社会は自分の敵だ!!社会を殺さねば自分が殺される!」という気持ちになっている人がいたらどうでしょうか?
こういった人にとって倫理や道徳の尊重は益がないばかりか自分の敵に塩を送る行為になるので、倫理は度外視してとにかく自分の利益を最大化し生き残ることが最重要となります。というのも、生の肯定自体は理性による部分が大きいから。
心に余裕がない彼らはもっぱら生き残るという本能だけで行動しているので生を肯定するとかしないとかそういった判断できないでしょう。なので、社会に「社会は自分の敵だ」と思うような人を増やすのは得策ではないんですな。
そのため、たまに見かける「弱者はリソースの無駄だからみんな殺せ!」みたいな話は大変危険。
基本的に、倫理の尊重のためには自分の心身の余裕、社会からの存在の肯定が必要である。
確かに、そういう人の言い分もほんの一部だけわかりますが、それをやったらこの社会の倫理観は完全に崩壊し結局自分たちの命すら危なくなってしまいます。
だから、弱者の徹底殺戮や排除は愚策中の愚策。支援が必要というのは自分たちの自衛のための行動であって、単なる酔狂な慈善なんかではないんですよね。
他人の倫理観のなさを糾弾するよりも重要な事
世の中には本当に「コイツどうしようもねえな」とため息が出るような倫理観バグりモンスターがいるものです。
話が通じないし何でも暴力や威迫で解決できると思い込んでいるような人物から、果ては「死こそが弱者の最大の救済」と称し弱い立場の人を沢山殺してとくとくと善人面している大量殺人鬼とか、、、。
こうしたイカれた存在に対して、私達パンピーが直接できる事なんてないです。警察とか行政の仕事としか言いようがない所があります。
しかし、こうした倫理観バグりモンスターたちを見た時に「なんでコイツの倫理観はバグったのか?」という原因に思いをはせること自体はしてもいいと思うんですよね。
もし、そのバグった原因の中に自分が無理のない範囲で動けば取り除けそうな要因があったら、ちょっとだけ動いてみるとかいうのもアリだという話。
例えば、孤立している人を減らすとかブラックな職場環境をなくす努力をするとかそういったものもその一つかもしれません。
結果的に、社会から見放されたと感じる人が減ればそれだけ倫理が守られやすくなり、私たち自身の身の安全も保障されますからね。
結局は、出来るだけの多くの人が「生まれてきてよかった!」と感情的に納得のできる環境を社会に用意することが倫理が守られるようにするために大事と言う事です。
てなわけで、もっと積極的に色んな人に親切な行いをしてもいいと思ったりします。これは慈善でなくて自衛です。まあ、やりすぎは禁物ですけどね。自分がつぶれてしまうので。
倫理観のバグった人が増えないためには個人の尊重が重要
倫理観のバグった人の心理の根底にあるのは「生の無条件の肯定」。
そのため、社会にできるだけ多くの人が「生まれてきてよかった!」と言えるような環境をつくらないと倫理は軽視され破壊されるようになります。
「社会は自分の敵だ」といった意識を強く持つ人を減らすために、努めてちょっとした親切を行うようにするといいんじゃないかなっていうのを思う次第。
では!