「美意識が高いのっていい事なのか?悪い事なのか?、、、正直最近分かんなくなってきた。それというのも友人に美意識をこじらせてスグに人の顔面を査定しだして文句を言う人がいるからよ。なんか、美意識高いのって本当にいい事なのかなあ、、、。いい事じゃない気がしてくる。」
まあ、美意識が高けりゃ高い程いいってわけではないわな。
てか、いわゆる美意識なんてこじらせると害悪にしかならなんね。
オニギリス!
脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「「美意識が高いとは?」美意識が高いのはいいがこじらせるとヤバい」という話です。
今回は以下のような方に向けておおくりします。
・美意識が高い事のメリットとデメリットについて考えてみたい人
・「美意識が高い」とは一体どんな状態なのかについて考えてみたい人
・話しのネタが欲しい人等
一般に「美意識が高い」事はどちらかと言えば、いい事であるととらえられている気がします。
そして、個人的にはそれは同意です。
ただし、すぎたれば何とやらでして、「いわゆる美意識」、つまり外見を美しくたもとうという意識があまりにも強くなりすぎるとかなり自他にとって害悪となると思うんですな。
あくまでも美意識は「自分にとっても相手にとっても心地よい状態の高さ」を保ちたいものです。
ちょっと、今回はそこら辺について考えてみたいと思う次第。
では、ゆるりとおおくりします。
目次
いわゆる美意識が高いとは一体何じゃ?
美意識という言葉を、辞書で調べてみると以下の様な定義が出てきます。
引用
ふむ、、、なんてめんどくさい言い回しなんだろうか、、、。
そうですねえ、、簡単に言い換えるなら、「美的なものを受け入れたり生み出したりする心の動き」みたいな感じでしょうかねえ、、、。
そして一般に「あの人美意識が高いね」と言われる場合の、「美意識が高い」というのは
「主に自分の外見等に関して美しさを保つ、または向上させようという気持ちが強い」
みたいな感じで使われている気がします。
ま、「美に関して向上心がある」って感じにも言い換えられそうです。
美しくあろうとする事自体はいいことだと思うので、美意識が高いことをもってそれだけで非難する人はまあいないと思います。
実際、わたしも美意識がそれなりに高い女性の方が好感が持てますしね。
人によっては、「素朴で飾らない一緒にいて落ち着く人の方が好印象」とか言ったりするとは思いますが、まあわたしの場合は美に関しては向上心が高くてお互い切磋琢磨できるような人の方がいいって感じですわな。
お互いの関係性が近い場合、だらしないスタイルでも平然としてるとかいうのは、正直あんまり許せる気がしません。
「なんでそんなにかっこ悪くて平然としていられるんだ!!恥を知れよ!!」なんて少しムカッと来そうな気もしますな。
はい、もうお分かりですね、わたしもやや美意識こじらせている側の人間ですよw
美意識が高いことは基本的にいいことだが、こじらせると大惨事である
美意識が高いという事は、「主に自分の外見に関して美を保とうという意識が強い」という事なので基本的に悪い事ではありません。
少なくとも本人の美的感覚が世間とよほどずれていない限りは、他の人達に対して好印象を与える事になるはずですので「美意識が高いのはいい事」でしょう。
しかし、美意識が高い事は時に惨事を引き起こします。
例えば、具体的には以下の様な場合があると思われますな。
- 自分よりも身なりにかまわない人に敵意をもつ、または見下す
- 極度の面食いになる
- 外見の美しさの高さ=人間の価値という極端な思考に陥る
以下順次捕捉です。
・自分よりも身なりにかまわない人に敵意をもつ、または見下す
あくまで個人的に思うだけですが、美意識が高い人は意識的無意識的を問わず「自分よりも身なりにかまっていない人を見下している」傾向がそれなりにある気がしています。
本来、美というものは「自分という素材のもつ魅力を存分に引き出す」という方向性で探求するのが正しく、他者と競うもんじゃないと個人的には思うんですな。
美なんて原則として自己完結していればいいと思うわけね。
しかし、中には「何だあんなに小汚い格好してみっともないなww」とか「なにあれ?よくあんなんで外あるけるよね、ウケるw」てな具合に見下すような意識を持つ人がおります。
これは特に女性に多い印象。
あとは、「こんな小汚いのと一緒に居たら自分もコイツと同族性だと思われるから嫌だ!」なんて露骨に敵意をもって攻撃する人もいますわね。
まあこういった心理の原因は個々人それぞれでしょうが、中々に闇が深い問題です。
そして、こんな感じの事は恥ずかしながらわたしに関してもややいえる事なんですな。
わたしの場合、ある一定以上親しくなった異性限定なんですが、「太っているのは気に入らない」てのがあります。
なんていうんでしょうかねえ、、「体型の乱れは精神の乱れじゃん」的なノリが多少あるんですよ。
なんか、上手く言語化できないけど気に入らないんですよな。
メンタルが健康な人って基本的に、わたしが見てきた範囲内だとあまり極端に太っていたりやせていたりっていうのがなかったんですよ。
体型は割とメンタルバランスの指標になる気がしているって感じです。
あと、やっぱりわたしは「太っている体型を美しいとは到底思えない」って立場なので、太っていてもいいやって人とは価値観が合わないんでしょうな。
太っていてもいいやっていう精神性が気に食わないっていう感じかも、、、。
向上心がない感じが嫌いなのかな??
、、、まあ、よくわかんないけど、ちょっと個人的にこじらせているなって思って反省しているところです。
・面食いになる
人によるとは思いますが、美意識が高い人は結構な確率で結果的に面食い気味になる気がしています。
この原因は、非常に大雑把に言うと「美を判定するための客観的基準を得る事で人の顔を始めとした容姿の欠点がより明確に認識できるようになるから」じゃないかって気がしますね。
美意識が高い人は、整形分野などでよく用いられている黄金比や白銀比、イーライン等といった美に関する客観的な基準をひととおり知っているものです。
特に、実際に整形までしている人になってくると、各パーツごとの理想形とかどこまでが許容できる形状かなんて事も追及していたりします。
こんな風に、顔の造形に関して色んな知識や判断基準を持ってくると、目が二重か一重かなんて言う低次元?の話ではなく、「顔全体のパーツの配置バランスはどうか?各パーツの形状はどうか?顔型はどう?」みたいなもっとややこしい見方をするようになると思うんですな。
中には人の顔を見るとそれこそ反射的に「この人の顔の完成度は10の内4」とか「お!10でいったら8あるじゃん!!すげえ!」みたいに勝手に採点するようにすらなっている人もいるっぽいです。
まあ、結構ヤバいですよね、これ。
こんな風な判断が常態化してくると、人の顔に対して「正直、顔の完成度が~以下だと到底綺麗だとは言えないからつるむのはゴメンだわ。見てていい気がしないもん」みたいになってくる可能性はあるんじゃないかと思いますね。
客観的な美の基準を持つ事で顔における問題点が明確化し、そこに意識が向くようになることで結果として面食い化したり面食いが加速する可能性はある程度あると思いますな。
こういった傾向は、目立った弱点のない美人には結構多いような気「も」します。
というのも、全てが全てではありませんが、概して美人は美意識がかなり高い傾向にあるような気がするんですよな。
具体的に言うと男性の場合、大体は雰囲気イケメンになれば女性から恋愛対象としてみられるのですが、美意識が高い女性に対しては雰囲気なんてまるで通用しません。
美意識が高い女性っていうのは、わたしが知っている限りだと「相手の雰囲気がいいのは当たり前として造形美そのものも見ている」ので雰囲気でいくらカバーしようとしても無駄なんですな。
例えば、いくら薄い平面的な顔にノーズシャドー等で鼻が高く彫りが深そうな雰囲気を作り上げても、こんなものは横から見れば簡単に見破れます。
いくらメイクで正面顔だけごまかしても注意深い人が横から見れば、
「なんだ鼻根部低いし鼻に高さがそもそもないじゃん」とか「なんだい、中顔面の前方への発達いまいちじゃん。てか中顔面陥没してるわ」
みたいにそもそも立体感がない顔である事なんてすぐわかるというものです。
美意識が高くなってくるとこういった顔の造形に関する分析を反射的にやるようになりがちかと思います。
まあ、こういうのって、「美にとらわれすぎている」って感じで、実にバカバカしいんですがね。
割となりがちかと思いますよ。
・外見の美しさの高さ=人間の価値という極端な思考に陥る
美意識をこじらせた人の最終的にいきつく先は、「外見の美しさの高さ=人間の価値」といったかなり極端な思考でしょう。
確かに、外見の良さが相手に与える印象に及ぼす影響は多大です。
みなさんよくご存じのハロー効果のせいで、外見がいいと能力や性格まで肯定的に解釈されがちです。
しかし当たり前ですがそんなハロー効果による判断なんてまるで当てにならないし、そもそも外見の良さが人の価値の全てなわけありませんよね。
正直、誰でもわかるはずの事です。
しかし美意識をこじらせてくると、「外見が悪いやつはもうそれだけでおわり。何をしても無駄。なんせ存在自体が不快なんだから」みたいなことを言い出す人がでてきたりしますな。
こりゃあもう明らかに「美という魔物にとりつかれている」って感じですよ、はい。
こういった「ある特定の見方にとらわれる」っていうのが美意識をこじらせた人の末路って感じです。
こうなってしまうと、様々な場面で人生の可能性を捨ててしまう事になるのでやめた方がいいですわなあ。
そもそもなんで現状の美意識が出来上がったのかについてしっかり自分と向き合わねばいけない
美意識が高いこと自体は、ある種の向上心の表れなのでいいことだと思いますが、それをこじらせていくと自分にとっても他人にとっても有害です。
もしこじらせてしまった場合は、「どうしてここまでこじらせてしまったのか?」という原因をシッカリと自分と向き合って明らかにすることが必要でしょう。
原因をシッカリと認識するだけでも幾分思考はバランスを取り戻すものですし、認識することで少しづつでも修正することもできます。
まずは、原因を特定することが何より重要です。
例えば過去に外見が悪いという事で激しいいじめを受けていた女性が、その後整形やダイエット、メイクなどによって綺麗になった場合について考えて見ましょうか。
今現在彼女はすっかりイジメをされない、むしろそれどころか人気者になっているなんて場合、彼女は「過去のいじめの原因は自分がブサイクであったからだ」と考えるかもしれません。
すると、「人とは美しくなければ愛されないものなのだ」なんて考えを持つかもしれませんね。
つまり、「自分が美しくいる事=自分が愛されるための必須条件」であり、「美しくなくなると自分は愛されなくなる」という思考になっているわけです。
こうなってしまうと、以下の様な負の連鎖が起こってくる可能性があります。
- ブサイク、ないし身なりがやぼったい、美意識が低そうな人を見ると過去の自分を見ているようで否定したい気持ちに駆られ攻撃的態度をとりたくなる(投影)
- 人の価値=容姿の良さと考えてしまう(こうなると、自尊心を失いやすい)
まあ、どちらも非常に有害なのですが、一番ヤバいのはやはり何といっても2つ目です。
この思考が激化すると「容姿がいい人はそれだけで特権階級だ」とか「容姿が悪くなったら自分はもう生きいられない」なんて事を考えるようになってくるかもしれません。
こういった思考が、どれだけ人生を窮屈で苦しいものにするかは、容易に想像がつくでしょう。
特に、女性はこの手の思考に陥りやすい人が多いような気がしております。
そもそも美なんてものは、「自分という素材を存分に生かすために追求する」というのが一番良いんです。
「他者と比べて自分はどのくらいか」みたいに比較をし過ぎると害悪なんですよな。
自分の持ち味を生かすような美の追求なら、基本的に自分で完結するので自分自身に対して自信がなくなるなんて事は起こりません。
むしろそれどころか、自信がつくと思うんですな。
なのでどこかで、「他者視点からの客観的な美の追求」から「自分という素材を活かす美の追求」へと視点をシフトさせていく事も必要かと思う次第。
ちなみに、「自分らしい美を追求する」というコンセプトのもと女性を対象に運営されている美容スクールにシービューティーというものがあります。
自己肯定感を高めたいとか美意識をいい意味で上げたいと思う人は、シービューティーで一度自分なりの美の在り方を模索してみるのもいいかと思いますね。
シービューティーについて詳しくは以下。
男性向けにこういったサービスがないのはなんだかなあ、、、。
まあ、しょうがないか。
おわりに
この記事は「「美意識が高いとは?」美意識が高いのはいいがこじらせるとヤバい」と題しておおくりしました。
美意識が高いことは基本的にいいことですが、美意識が高すぎる、つまり美意識をこじらせるとかなりまずいことになります。
まあ、あんまり他人と比べて自分はどうかみたいな考え方ばかりするのは考え物よねえ。
美の追求に関しては、ある程度自己完結させていきたいものであります。
とはいえ、あんまり自己完結させるって事になると独りよがりになって、それもそれで問題だからバランスが大事だけどさ。
まあ、、、難しいねえ。
では!