なんで自分はスピリチュアルが苦手なのかちょっと考えてみた

「いわゆるスピリチュアルって何なん??知り合いにスピリチュアルにはまっていてよくわからないこと言う人がいるから気持ち悪いんだが、、、。うん、なんか、うまく言えないけど気持ち悪い。」

ふむ、何かスピリチュアルに熱心な人って気持ち悪いんだよなあ、、、。

オニギリス!

脱マンネリストで心理カウンセラーのおにぎりです。

今回もよろしゅう!!

今回の話題は「なんで自分はスピリチュアルが苦手なのかちょっと考えてみた」という話です。

今回は以下のような方に向けておおくりします。

スピリチュアルが嫌いな人
・話のネタが欲しい人等

わたしは結構スピリチュアルが苦手で嫌いです。

「まあ、人の心の支えになるならいいか」と思うこともありますが、なんか好きになれません。

ただ理由らしい理由はよくわかんないけど、「なんか生理的に気持ちが悪いな」って感じでその理由が今までよくわかりませんでした。

正直、「スピリチュアル、、、なんか生理的に受け付けんぞ、、、」と思いつつも、「まあそれで救われる人もいるなら役に立っているって言えるのか?」なんて思うもののまた「やっぱ気持ち悪い」と堂々巡りをする日々でした。

他人がそれで楽しそうにしているなら、「まあ、いいんじゃない?」て思って静観してられますが自分はその輪に参加したくないですな。

で、なんでこんなことを思うのかっていうのを一度言語化しようと思って、今回記事にしてみることにしたんですね。

まあ需要があるかはともかく一度書いてみようと思う次第。

では、ゆるりとおおくりします。

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そもそもスピリチュアルって何なのか?

スピリチュアルとは、以前の記事でも触れた通り元々ラテン語に由来するキリスト教用語で「霊的である事」を意味する言葉です。

ただ現代では、ネットを調べたところスピリチュアルについての厳密な定義はなく一般に「現在の科学で証明することができない概念全般を取り扱う領域」となっているようですね。

だから、いわゆるスピリチュアル系の人達は霊だとか輪廻、前世からの業、前世、守護霊等といった非常にあやふやなものを持ち出して何やら独自の理論体系を構築しているわけです。

まあ、なんというかかなり恣意的でご都合主義的な理論体系が出来上がりそうな気がしますなあ。

ただ、スピリチュアル的な概念の存在自体が害悪かっていうと一概にはそうは言えないのですな。

以前の記事でも触れましたが、宗教的な文脈から人々のメンタルケアをしようという機運が世界的にあり日本でもそのような活動があるのは事実です。

事実、日本では臨床宗教師という職業の方々が各人が大事にする価値観や信仰心に応じてスピリチュアル的な文脈からケアをしているといいます。

まあ、宗教というものは人に生きる意味や活力を与えるといった側面もありますからねえ。

なので、「スピリチュアルは害悪である」は暴論の類であるとは言えるでしょう。

ただ後述しますが、「スピリチュアルは悪徳商売の土壌になりやすい」のは間違いないでしょう。

何で自分はスピリチュアルが苦手なんだろうか?

では、今回の本題であるわたしが「なぜスピリチュアルが苦手なのか」について考えてみたいと思います。

正直色々考えた結果、確たる確信があるといえるほどまでに心の中を整理は出来なかったのですが、一応スピリチュアルが苦手な理由について列挙してみたいと思う次第。

その理由が以下の通り。

・どうにも都合がよすぎる気がする

スピリチュアル系にはどうにも都合がよすぎる理屈が多すぎる気がします。

例えば、引きよせの法則なんかもその一例かもしれません。

それに波動がどうとかチャネルがどうの、、、まあそういった意味不明な独自の用語についてあまり詳しく知りたいと思わないので詳細はわかりませんが、何かどうにもとってつけたような概念という印象があります。

そして前世で徳を積んでなかったから今苦労してるとか精神修行のためにわざわざ障害等の個性をもって生まれてきたとか、、、、個人的にはそういった屁理屈に対しては「寝言は寝て言いなさい!そんな論法をとって何がしたんだ?」等と言いたくなる気持ちでいっぱいです。

自分でいまさらどうしようもないものについて目を向けてもどうにもなりません。

どうにかして無理やりに現状を正当化しようとしている気がして、なんか違和感を感じますよ。

こういった話を聞いていると「おう、何でもありだな」と思ってしまいます。

前世の行いとか生まれてくるときにわざわざ選んできたとかそんな事が現在の苦難の元凶だったら、「では今どうしたらこの困難が現実的に解決するんすか?」って言いたくなりますわね。

あれですかね、ここでお祓いとかパワーストーンとかが必要って話になるんですかな??

、、、、「バカバカしいにもほどがある」って思います。

こんな事が本当の意味で悩んでいる人の救いになっているとは思えません。

あとどうにもわたしの認識だとスピリチュアルには、「努力せずして何とかうまくいく」みたいな凄くご都合主義的な理屈が多い気がするしもはや無理やり理由をこじつけている気がして仕方ないです。

正直、わたしは「何言ってんだろうか?言っていることがわからない、、、、。どうしたらこんな妄想が膨らむの??これはある種の才能か??」等と思うことが多々あります。

何が宇宙と交信、風の時代だよ、、、何だよそれ。

うっせえ、うっせえ、うっせえわ!

・信じている人達を見ていると好きになれない

あと、わたしがスピリチュアルが苦手なのはそれを熱心に信じている人たちのイメージが良くないっていうのもあります。

まあ、どんな宗教にも熱心に信仰するあまり冷静な批判能力を失っている信徒というのが一定数いるものですので何もスピリチュアルに限らないのですが、どうも無批判にある考えを絶対視している人とは関わりたくないと思ってしまうものです。

そういった人は得てして、自分の考えを正しいと人に押し付けてくるし、それに賛同しないならすぐに愚か者扱いしてくるので正直一緒に居たいとは思えないもんですよ。

その一方で、スピリチュアル系であってもちゃんと批判能力を失っていない人たちもいます。

そういった人たちと「とりあえずスピ系の話題については触れない、議論しない」なら、普通に付き合っていくこともできるでしょう。

「スピリチュアルに興味がある人=ろくでもない人」等とスピリチュアルに興味があるからといってその人の人格全てを否定するのは間違っているといえます。

例えば、海外でも「宗教性と科学は両立するのか?」みたいな議論が行われてきましたが、名だたる科学者たちの中には強い信仰心を持つ人も多数いますね。

近年で言うと、バートランド=ラッセルさんとかがそうでしょうか。

人間は神だの霊だのと言ったあいまいなものを信じていても、論理的な思考はできるってことなのでしょう、多分。

あと、科学も広義には宗教の一種とみることもできるため、わたしのように何かというと科学的根拠を探している人間も「科学教の信者である」なんてやゆされても仕方ない側面はあります。

なので科学を絶対視しない姿勢ももたねばなって最近は改めて思ったりしますね。

かといって、信頼に足るものは今のところ科学くらいしかないんですけど。

とはいえ、以前の記事でも触れた通り、科学が提示している諸理論等は「真実」等ではなく結局は「確からしい仮説」の域を出ないものと言っていいといえましょう。

なのでいつも科学的根拠には反論の余地がありますし、それが科学の大前提でもあります。

反証可能性がないものは科学ではないという事です。

この反証可能性が前提にあるという事が科学の正しさを担保する一要因であり、それが故に科学は信頼に足ると個人的には思っています。

無批判に「~は絶対に正しい」といった異論を許さぬ不変の前提に基づく理論というのは、一見魅力的ではあるもののどうしてもその理論を考案したのが人間である限りそれが掲げる「絶対性」には疑問を抱かざるを得ません。

やはり、「反論は受け付ける。そして適宜必要があるなら修正する」といった姿勢を持っている理論体系の方が信頼に足るといえます。

ただその「反論」には「その一定の妥当性を担保する形式」がないと、何でも言ったもの勝ちになるので理論体系なんて全く成立しないでしょう。

そのために科学では「仮説を立てて実験して、、、」なんて正しさを担保するための努力が行われているといえます。

スピリチュアルはこうした自浄作用というか正しさを担保する適切な自己批判の仕組み、要は「自分が正しくあろうと常に自らを見直すシステム」を内蔵しているのでしょうか?

もっぱら個人の感性や主観といった客観的に妥当かどうか検証のしようのないあいまいなものをそのまま根拠にしてはいないでしょうか?

わたしの認識不足の可能性もありますが、どうもスピリチュアルの理論体系にはこういった自身の正しさを担保せんとする自己批判システムが内蔵されている気がしません。

そして、検証のための妥当な形式すら整えられていないし模索されている気がしないです。

これではどこまで行っても「恣意性と偏見の塊」ですので、その理論体系を信用するわけにはいかないって気がしてしまいます。

「霊はいるんだよ」と言ったらそれが真になり、「前世はスペインの王女だったのよ」と言ったらそれが真になる、、、もう何でもありじゃないですか、、、。

「いい加減にしろ!!!」って感じです。

ちなみに、「当ブログの記事を読む際の注意点」でもふれたことですが、わたしのブログに書いてあることは「話半分くらいでよみ、参考になりそうで取り柄入れることで害がなさそうなら少しづつとりいれてみる程度の軽いエンターテイメント」として読むのが正しい読み方です。

そもそも同じようなテーマを扱う論文によっても「Aが正しい」といっているものもあれば、「Aは間違っていてBが正しい」と全然違うことを主張するものがあります。

なので「自分の主張を正当化するために自分の主張と結果が合致する論文を恣意的に選んでくる」なんて事が行われたら、まあ正しいもクソもなくなってしまいます。

スピリチュアルの「あるといっているからあるんだ」といったバカバカしい主張よりはましとしても、あまり意味のあるものとはいえないでしょう。

一応、研究でいうならメタ分析的手法に基づくものの信頼性が高いとされていますが、そこで示された結果ですら後に覆されることもあるでしょう。

何一つとして科学は真実を伝えてくれていないといえます。

ただ、もっとも「科学は今のところ思考のよりどころとするには最も適したツールだ」とだけは言えるでしょう。

・そもそも自分は見えないものが心の支えに必要ではないという立場である

わたしはそもそも神や霊などといったものを一切信じないし、特に「神を信じるのは死んでも嫌」と思っていたりするので、神の存在を前提とする宗教を認める訳にはいかないっていうのも実際にはあります。

ただ霊がいたら面白いとは思わんではなくはないので、今のところ「確認するすべがないから霊はいない」という前提に立っているといった方がいいかもしれません。

正直、「自分の人生に口だせるのは自分だけだし自分以外に口だしなどさせない」って思いがあるんですよねえ。

とはいえ、「神なんぞ信じない」と言ってられるのは、「極限まで苦しい状況に陥ったことがないからだ」なんて話もあると思います。

ただ現状では、極限まで追い込まれても神を信じるくらいなら潔く死んでやろうくらいに思ってますね。

神に救いを求めるようになったら人間おしまいだって気持ちになってしまいますなあ。

極論ですけど。

自分以外のものに人生を決められるのは、ごめんです。

死期も自分で決めたいですし。

なので、わたしは「見えないものなんて自分の人生には必要ない」って気持ちでいるわけです。

そんなものに人生を左右されるのは、はなはだ鼻もちならないって感じ。

ちなみに多少余談ですが、あの宇宙物理学者ホーキング博士は、生前に「神はいない」とか「死後の世界はない。死んだら無になる」という事を断言していたそうです。

わたしは彼の意見を支持しています。

参照

https://www.cnn.co.jp/fringe/35127106.html

https://www.excite.co.jp/news/article/Rocketnews24_96748/

・悪徳スピリチュアリストのせいでスピリチュアル全般のイメージが悪い

スピリチュアル系の人の中には、なんか根拠のよくわからない高額の占いサービスやパワーストーンをウン十万とかの高額で販売していて明らかに人の足元を見た商売をしている人たちがいます。

まあ、本来わたしは「別に思考力がない人がだまされるのなんて自業自得な面があるから知らねと思う『はず』」なのですが、なんかモヤモヤするんですよね。

、、、なんか、今回改めて自分の心を見つめてみたら「いくら何でもそんな悪徳に金巻き上げるのはねえだろう」、、、て心のどっかで思っている気もしてきました。

良くも悪くも親の正義感の強さを受け継いでしまっているのかもしれませんなあ、、、。

ま、知らんけど。

もしそうだとしたら、かなり商売人には向いていないですわ、はあ。

上述したように、スピリチュアル系って基本的に「いったもん勝ち」になりがちだと思うので、悪徳商売がやりやすいって思ったりします。

まあ、わたしには「スピリチュアル系」というと人の足元見た悪徳な商売してる人のイメージがすごく強いです。

まあ、そうでない人もいるとは思いますけども、、、。

個人的にスピリチュアルとか占いって以下の様な無料のアプリで十分だと思っています。

無料で4種類あまりのタロット占いができるそうなので、友人たちとの会話の起爆剤になるでしょう。

アイOSはこちら。

アンドロイドOSの方はこちら。

おわりに

この記事は「なんで自分はスピリチュアルが苦手なのかちょっと考えてみた」と題しておおくりしました。

今回は需要がないとは思いつつも、わたしはスピリチュアルが苦手な理由について色々と考えてみた次第。

結局、色々考えてみて、わたしがスピリチュアルが苦手な最大の理由っていうのは、わたしの「神を信じるわけにはいかない」って思いと「スピリチュアルの理論体系には自身を正しくあらしめようとする適切な自己批判システムがない」ということが最大の要因のようです。

とはいえ、誰かがスピリチュアルによって心やすらかに居られるなら、それはそれでいいのかもしれませんね。

存在自体は悪ではないでしょう。

ただ私は嫌いというか、なんか「住む世界が違うな」って感じます。

ま、これこそうまく棲み分けすればいいのでしょうな。

では!

参考

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB

https://www.cnn.co.jp/fringe/35127106.html

https://www.excite.co.jp/news/article/Rocketnews24_96748/

参考記事等

ラボットがいらなくなったら、どうしたらいいのかについて調べてみた

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