
「あいみょんの『生きていたんだよな』の歌詞って軽い衝撃だったわ、、、、。曲自体もいきなり詩の朗読みたいにはじまって意表をつかれたしね、、、、。いやあ、なんか考えさせられちゃう歌詞だよねえ、、、、、本当、、。」
んー、そうねえ、、、。
あと、どうでもいいけど、あいみょんさんって声がめっちゃイケボじゃね?
オニギリス!
脱マンネリストのオニギリです!
今回もよろしゅう!!
今回の話題は「あいみょんの『生きていたんだよな』の歌詞は死と生の対比が鮮やかだ」という話です。
はい、来ました!
歌詞の心理学分析第二弾はあいみょんさんの『生きていたんだよな』であります!!
ちなみに、第一弾はこちら。
はい、あいみょんさん、今や飛ぶ鳥も焼き鳥(?)にする勢いのパワフルでエモいシンガーです。
あいみょんさんの「生きていたんだよな」という曲、、、、これねえ、、結構個人的に「お?この展開意外!」て感じでした。
何がっていうと、「始まっていきなり詩の朗読が始まったかと思うような展開の曲だから」です。
そして、その歌詞も結構びっくりの内容でした。
はい、今回はそんな『生きていたんだよな』の歌詞を心理学的を交えて主観的に分析してまいりたいと思いやす!
では、ゆるりとおおくりします。
あいみょんとは何者?
あいみょんさんは今すごい勢いで躍進している作詞家、作曲家、シンガーソングライターです。
ちなみに、本名は「森井愛美」さんというそうです。
そして、「あいみょん」とは友達からのあだ名であったとのこと。
参考
彼女の曲を本格的に聞いたのは友人からの勧めでしたね。
わたしは彼女の曲の中だと「愛を伝えたいだとか」が好きですね。
あの曲のジャズテイストを感じさせるオシャレな雰囲気がいいんですよねえ。
あいみょんの声ってイケボじゃね?
わたし思うんですよ、「あいみょんさんってイケボじゃね?」と。
あえて表現するなら「少し甘み多めのビターチョコ」て感じ??
なんだか、「かっこいい」けど「かわいい」、そして「まだ大人っていうには少し若い感じ」があるんだよね、声に。
根拠もない個人的な見解なんていらん気もするけど、思うんですね。
「女性からしたら、あいみょんさんの声ってイケメンが歌っているように聞こえたりもするのでは??」
と。
もしかして、昨今の彼女の人気には歌詞自体の魅力だけじゃなくてこの要素が大きく関わっているんじゃないかなあ、、、て勝手に思っています。
はい、いらぬ私見すいません。
歌詞から見える「死と生の対比」
あいみょんさんの『生きていたんだよな』には多くの対比表現が使われていますねえ。
さらに言えば、いきなり詩の朗読のように始まってから急に歌詞がメロディーに乗っていくのも対比といえます。
では、歌詞の分析開始!
Here we go!!
二日前このへんで
飛び降り自殺した人のニュースが流れてきた
血まみれセーラー 濡れ衣センコー
たちまちここらはネットの餌食
ふむ、まあここは情景描写ですね。
「危ないですから離れてください」
そのセリフが集合の合図なのにな
そう、人って「行列があるとならんでしまう」ように「人が集まってくるところに集まってくる」心理傾向があるのよねえ、、、。
それに意味があろうとなかろうと、、、。
それに「離れてください」って言ってみれば「禁止」だもんね。
人間って禁止されるとかえってやりたくなるっていう心理傾向あるから(カリギュラ効果)、そら集まるわね。
バカ騒ぎしていた奴らがアホみたいに撮りまくった
冷たいアスファルトに流れるあの血の何とも言えない
赤さが綺麗で 綺麗で
序盤は情景描写、そして、「冷たいアスファルト」と「血」はなかなかの対比ですね。
血は「本来、人体の中にあって「『温度を持ち』生命を維持するために体内を流れているもの」なのに、いまや「無機的で『冷たい』アスファルトの上に流れている」という対比。
そして、そんな「血」が皮肉なことに「きれいだ」という事実ね。
「奇麗」てプラスの意味を持つ言葉ですから、「生命」との親和性は高いはず。
しかし、この場面では「奇麗」が「死」の様な一般にはネガティブな意味を持つ言葉と結びついているって話。
皮肉よね。
これも言うなれば、「生と死」の一種の対比のような感じがしますね。
泣いてしまったんだ
泣いてしまったんだ
何も知らないブラウン管の外で
情景説明ですね。
しかし、ブラウン管かあ、、、なんか時代を感じるのは気のせい??
生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは他の誰でもなく
自分に叫んだんだろう
ふむ、「最後のサヨナラは~」の箇所は心理学的な見地からも正しいでしょうね。
実際に、自殺を考えてしまうほどの極限状態にあっては、相当なストレスがあるはず。
ストレスが高いと視野が狭くなり、「自分にばかり意識が行く」のでこの「サヨナラ」は自分自身へのサヨナラであったと考えるのが妥当ですね。
彼女が最後の流した涙
生きた証の赤い血は
何も知らない大人たちに拭き取られてしまう
ここもかなりの対比が使われています。
はい、「彼女」の人生はそれこそ十数年、しかし「生きた証の赤い血は」はそれこそ一瞬でふき取られる、、、。
しかも、「何も知らない大人」にね。
ここであえて「大人」と言っているのが印象的です。
そう、「子供の対場での悩みは大人には本質的にはわからないから」です。
だから、「何も知らない」てつけると余計にむなしくなるよね、、、、。
「少女である彼女」は「悩みに悩んでの決断をした」のに、「大人」は「何も知らないし、『そもそもわからない』ていう、、、、。
この絶望的なまでの虚しさよ!!
いやあ、勝手に「お??この歌詞上手くね??(何様)」なーんて思いましたとさ。
立ち入り禁止の黄色いテープ
「ドラマでしか見たことなーい」
そんな言葉が飛び交う中で
今彼女はいったい何をおもっているのだろう
遠くで 遠くで
これも対比ですねー(何回目?)。
ここにおける基本的な対比は、「当事者感が全くない気楽な野次馬」と「悩みに悩んでいた当事者」の対比でしょう。
そして、「ドラマでしか見たことなーい」なんて当事者間ゼロの野次馬連中をみてから、意識はそこから離れて「もう、遠くに行った彼女」へ向く、、、。
意識も現実から「遠く」離れた彼女へ向かっているわけね。
本当、対比の連続だな(笑)。
泣きたくなったんだ
泣きたくなったんだ
長いはずの一日がもう暮れる
悲しみにとらわれていると時間ってすぐ過ぎ去るよねー。
新しいなにかが始まるとき、、、、
『消えたくなっちゃうのかな』
はい、この部分ですがこれは作詞者である、あいみょんさんの生い立ちとかが関係してそうですね。
なんでも、彼女は過去のエピソードを見る限り神経症的傾向(不安の感じやすさ)が高そうなうえ、小学生2年から3年に上がるくらいのタイミングで引っ越しをしたときに『とても嫌』だったといいます。
「新しいなにかが始まるとき、きえたくなっちゃうのかな」という表現は、上記の「嫌な思い出」に起源がありそうです。
「引っ越しに対する過去のネガティブ感情」が「学年が上がって新しい学年になる」等の「新しい何かが始まるとき」というイメージと結びついてしまった結果かも、、、、なーんて思ったりしますね。
参考
https://rockinon.com/interview/detail/181175
「今ある命を精いっぱい生きなさい」なんて奇麗ごとだな。
精いっぱい勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ。
鳥になって 雲をつかんで
風になって 遥遠くへ
希望を抱いて飛んだ
ここは心理学がどうこうとかいう話ではなく、ほぼ完全に作者の死生観って感じよね。
個人的に、あいみょんさんはあんまり「生と死」に優劣や区別をつけて考えない人みたいな気がするね。
ま、わたしも「生と死はそう変わらないものだ」なーんておもうから、ちょっと仲間意識?を持つような、、、。
参考記事等
まあ、この歌詞全体をよく読んで思ったことは、
「自分の悩みをちゃんと話せるような人を最低でも一人は確保しておこうね!」
てことですな。
わたし自身は特段、自殺否定派とかではないから、結局本人の自由かなって思うのね。
でもね、、でも!
やはりさ、なんだかんだあっても人生って無駄なことってないと思うし、自殺したくなっているときってさ、思考がめっちゃ硬直化しちゃっているだけだったりするよ。
冷静に考えると、「まだ、自分に希望はあるやん!」なんて気が付けたりするもの。
それに気が付くには「自分の悩みを打ち明けられる人の存在」が大事なんだよね。
気分が追い詰められると、自分を客観視できないのが人間だから他人からの冷静な意見が必要なんだわね。
まあ、こんなときこそカウンセラーの出番な訳なんだわな。
ま、知らんけど。
おわりに
この記事では「あいみょんの『生きていたんだよな』の歌詞は死と生の対比が鮮やかだ」と述べました。
うん、こんな風にいろいろ分析してみるとますます、あいみょんさんの曲が好きんになるね。
さて、あなたのお気に入りの曲は何でしょう?
もし、気が向いたら歌詞をしっかり読みこんでみると新しい発見があって、さらにその曲が好きになれるかもしれませんよ?
では!